内閣府による「都心南部直下地震」の被害想定
さらに、「群馬県」での「内閣府による『都心南部直下地震』の被害想定」ですが、
(1)「死者数」については
冬の深夜に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(1-a-1)、冬の深夜に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(1-a-2)、夏の昼12時に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(1-b-1)、夏の昼12時に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(1-b-2)、冬の夕方18時に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(1-c-1)、冬の夕方18時に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(1-c-2)
のいずれでも、「わずか(=四捨五入すると0人)」としています。
(2)また、「全壊・焼失建物棟数」については
冬の深夜に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(2-a-1)、冬の深夜に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(2-a-2)、夏の昼12時に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(2-b-1)、夏の昼12時に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(2-b-2)
は共通で「約80棟」、
冬の夕方18時に発生し、そのとき風速8m/sというやや強めの風が吹いていた場合(2-c-1)、冬の夕方18時に発生し、そのとき平均風速である3m/sの風が吹いていた場合(2-c-2)
は共に「約90棟」としています。
これらを人口比で読むと「群馬県の推計人口(リンク先:群馬県『群馬県移動人口調査月報』)」は2013年4月1日現在で1,985,408人ですので、
(「わずか=1名」と仮置きしてみた場合の)死者数は県民の約200万人に一人、全壊・焼失建物棟数は22,060人~24,818人に一棟となり、
茨城県・栃木県と同じで、8月20日付の投稿記事「『内閣府の首都直下地震被害想定』と東京五輪返上論」に記したような「推計人口比で読むと東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県という1都3県の『都心南部直下地震』での最大死者数は1都3県民の約1,500人に一人、最大全壊・焼失建物棟数は約60人に一棟」という試算データと比較するとき、
けた違いに軽度な被害想定になっています。
群馬県庁が想定する地震被害
けれども、群馬県庁のサイトには「群馬県地震被害想定調査の結果について」が載せられており、
「関東平野北西縁断層帯主部による地震」「太田断層による地震」「片品川左岸断層による地震」という3つの想定地震の中で最も大きな被害が想定される「マグニチュード8.1の『関東平野北西縁断層帯主部による地震』」の最大被害想定値について、
「(2012年6月に公表された)群馬県地震被害想定調査 報告書概要」に、次のように記しています。
(1)冬の朝5時に発生し、そのとき風速9m/sという強めの風が吹いていた場合は、『死者数』が3,133人で『負傷者数』が17,743人(なので、『死者・負傷者数』が20,876人)、
(2)冬の夕方18時に発生し、そのとき風速9m/sという強めの風が吹いていた場合は『全壊・焼失建物棟数』が72,012棟、
(3)冬の夕方18時に発生し、そのとき風速9m/sという強めの風が吹いていた場合はピーク時となる発生1日後の『避難所避難者数』が353,333人で『避難者総数』が543,589人、
(4)冬の夕方18時に発生し、そのとき風速9m/sという強めの風が吹いていた場合は『帰宅困難者数』が146,100人
そこで、これらの最大被害想定値を上に掲げた推計人口比で読むと、
死者数は県民634人に一人、
負傷者数は県民112人に一人、
死者・負傷者数は県民95人に一人、
全壊・焼失建物棟数は県民28人に一棟、
ピーク時避難所避難者数は県民6人に一人、
ピーク時避難者総数は県民4人に一人、
帰宅困難者数は県民14人に一人
となります。
ということは、阪神・淡路大震災のときの兵庫県全体での死者・行方不明者は県民863人に一人、負傷者数は県民138人に一人、死者・負傷者数は県民119人に一人、(公共施設や商業施設や工場などを含めない)全壊・焼失住宅数は県民53人に一棟、ピーク時避難所避難者数は県民17人に一人でしたから、
群馬県での最大被害想定値は阪神・淡路大震災時を2割から3倍弱上回るものとなっています。
「内閣府による群馬県での『都心南部直下地震』の被害想定」は相対的に軽度であったとしても、
「群馬県庁は、このような厳しい被害想定の下で防災対策に取り組んでいる」という認識を県民の方々は改めて持たれた上で、自主防災領域での態勢を整えておかれる必要があるように思われます。