記録映像「国際大会で2度優勝」


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リンク上の羽生選手

リンク上の羽生選手(仙台放送「羽生結弦凱旋公演2014」より)

もくじ


ネーベルホルン杯とロシア杯での優勝

第3のパートでは
「震災から半年が過ぎ試合のシーズンが始まった秋、羽生は自分に言い聞かせていた。被災地のために戦うのではない。リンクに立てば己のために戦うしかない。この年、羽生は国際大会で2度の優勝を勝ち取った。凱旋した仙台では同世代にあたる高校生たちの喝さいが待っていた」というナレーションと、

その後の羽生選手の「(仙台空港での東北高校生らの出迎えは)うれしかった。『演技を見てすごい力が出てきたよ』とか、『すごい勇気づけられた』とか、本当にうれしかったですし」というコメントをバックにして、

「優勝した2011年9月の『ネーベルホルン杯』で演技する映像」、「グランプリシリーズでの初優勝となる11月の『ロシア杯』直後の仙台空港での出迎えセレモニーの様子」、「羽生選手へのインタビュー映像」などが放映されました。

だれもが知るようになったのは12年10月」へ

だれもが知るようになったのは12年10月

スケートアメリカとNHK杯

そして「記録映像」はソチ五輪関連の第4パートへと続いていくのですが、
「ロシア杯で優勝して帰郷」と報じた2011年11月30日の地元紙朝刊の扱いは(2段抜きの見出し3行に花束を抱えた羽生選手の写真付きとはいえ)400字程度の記事量でしたから、この時点で宮城県の人々の多くが羽生選手の存在を知ったのではなく、

だれもが知るようになったのは翌年10月に「グランプリシリーズ初戦の『スケートアメリカ2012』のショートプログラムで羽生選手が世界歴代最高得点を更新した」と地元紙が1面で大きく報じたときでしょうし、

翌11月には震災時に遭難された数多くの方々のご遺体の保管場所だった「(アイスリンク仙台の北東6キロメートルのところにある)セキスイハイムスーパーアリーナ」で行われた『NHK杯』で再びショートプログラムの世界歴代最高得点を更新すると同時に優勝までして、
「多くのご遺族が身元が判明していないご遺体の確認などに訪れ、たくさんの涙が流された特別な空間であることを心に刻んだ上で、演技に集中して結果を出せるなんてすごい選手だ」という称賛の声も上がるようになりました。

2012年10月~11月にかけての躍進

丁度同じ頃、「ももいろクリスマス2012~さいたまスーパーアリーナ大会~」で3万5000人の観客を動員できていた「ももいろクローバーZ」の皆さんが、一夜にしてほとんどの人が知るアイドルグループに変わったのは1週間後に紅白歌合戦に初出場して視聴者の目をくぎ付けにするようなパフォーマンスを披露したことによってでしたが、
羽生選手にとってのそのときは「2012年の10月から11月にかけての2大会での躍進」だったのだろう、と思っています。