「戦後っ子ものがたりサイト」について

乾いた土地から芽を出した植物

乾いた土地から芽を出した植物(先人の方々へのオマージュ)

戦後っ子とは

「戦後っ子」は、祖父母の世代の方々にとっては「天照大神(あまてらすおおみかみ)を『てんてるだいじん』と読むような教養・知識に問題がある若者たち」、父母の世代の方々にとっては「(『自分たちが味わわせられた戦時中の苦しみ』で貴重な時間を奪われることもなく育ちつつある)、新しい感覚を持った若者たち」を意味する言葉だった、と理解しています。

「今年(2017年)の春に小学1年生になった児童たちは『3.11』以降生まれの東日本大震災を体験していない子供たち」と言われていますけれども、「物心がつかない乳幼児期に被災体験をした子供たち」もいたわけですから、
この例にならうと「『戦後っ子』は、戦時中に生まれた方々の一部を含む、『連合国による占領下での改革』によって大きく変わった戦後日本社会の中で成長してきた若者たち」と言うことができます。

そして、その「戦後っ子」は、(生年によって少しづつ違うわけですが)周りで起きたことをうっすらと記憶に留められるようになって以降の、「ニクソンショック」や「石油ショック」に代表される、現代史上の出来事の渦中に身を置かされたり、それらの出来事で人々の生活や意識がどう変わったかを見聞きしてきました。

また、東西冷戦の終結によって東側陣営の極秘文書が公表され、法律が定める非公表期間を超えたために米国の機密文書の閲覧可能範囲も広がったことで、長い間伏せられてきていた事実を報じるマスコミの検証記事や検証番組を通して、「そういうことだったのか」と「当時起きていた何か」について省みつつ学習もしてきました。

伝えたい先人の視点

そういった「戦後っ子」の一人である私は、社会に出る前の一時期、確か日本経済新聞でだったと思いますが、同じコラム欄に何人かの方々が寄稿されている中で大和勇三さんと土岐雄三さんの文章から「社会人の生活はこういうものだよ」とか「産業・経済・社会についてはこういった視点から見ていくべきだよ」とあらかじめ教えていただけたことを本当にありがたく思っています。

ところで、「3.11」から2年後の2013年春に「『首都直下地震』と『南海トラフ地震』に備えての自主防災お勧めサイト」として「東日本大震災被災体験記」を開設したところ、2016年春の「熊本地震」の後に「熊本県内からの閲覧ページ数が、(家財地震保険の査定体験記事を中心に)、18回も前年同日比で1,000倍以上」を記録して、「ネットの世界ではどんな記事がどなたのために役立つか分からない」と痛感させられるという「事件」が私自身に起きました。

結果、「(大和勇三さんと土岐雄三さんの文章が私にとってそうであったように)、『これからの日本を担っていかれる方々が、今と先々のことを考えられる際に少しでも役立つ記事』を寄稿できることもありうるのではないか」と考えるようになり、それがこのブログの立ち上げにつながっています。

ハンドルネームについて

なお、ハンドルネームは、一身にして二生(にしょう)を経(ふ)られた往年の名歌手・青葉笙子(あおば しょうこ)さんと最後の海軍大将・井上成美(いのうえ せいび)さんにちなんでいます。

青葉さんからは、東京都宮城県人会の地区担当理事をされておられたので、ご経歴を知らずに総会チケットの受け渡しで訪問した際に、ロングインタビューのようなかたちで「歩まれた人生」について詳しくお聞かせをいただきました。

高校の同窓会名簿に名を残されている井上・元大将には生前お目にかかる機会はありませんでしたけれども、そのご生涯について阿川弘之さんの著書「最後の海軍大将・井上成美」で初めて知り、強く胸を動かされました。

お二人からお名前の一部をお借りしたのは、「『自然災害』以外にも生活を一変させる要因がたくさんあるので、そういった事態に直面させられたときにどう身を処していくべきか」を教えていただけたことについて書きとどめておきたかったことが一つ目の理由です。

また、二つ目の理由は、「お二人が『世界恐慌の発生→保護主義の台頭→第二次世界大戦の発生』によってどのような激変に遭遇されたか」を私より年長の世代にはご承知の方々がいらっしゃるわけですが、このサイトをお訪ねいただいたより若い世代の方々の中に「またあるかもしれない『天災』や『人災』がもたらす『生活・人生の激変要因』を準備の仕方によっては事前に小さくしたり取り除ける可能性があるかもしれないので、あらかじめ身構え、可能な範囲で努力を重ねておこう」と考えられる方々が増えますようにと願ってのこととなります。

(投稿日:2017/04/03  更新日:2020/06/16)

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