大相撲パリ公演1995と横綱・貴乃花

シャンゼリゼ通り

シャンゼリゼ通り

次々と目に飛び込んでくる「横綱・貴乃花の写真」

1995年10月8日の夜にある視察旅行でフランスTGVを使ってリヨン駅に到着し、パリ市内に10日の夕方まで滞在しました。

が、この頃のパリでは、シャンゼリゼ通りを始めとして街中にたくさん置かれている緑色で円柱型をしたコロン・モリス公共広告塔に
リヨン駅にほど近い(相撲協会の資料には「収容15,000人」と書いてありますから日本武道館と同じぐらいの大きさの)ベルシー・アリーナで10月13日から15日まで開催される「大相撲パリ公演1995」を知らせる
「『化粧まわしの上に白い綱を締めた横綱・貴乃花の等身大の写真』だけが通行する人たちの目に飛び込んでくる大判のポスター」がかなりの割合で貼られていました。

「大勢の『横綱・貴乃花』に見られているような奇妙な感じ」がしなかったというとウソになりますが、パリ市中心部のおしゃれな景観にも溶け込んでいて「良いポスターだな」ということと「今このポスター内に置かれる力士の写真は実績とスター性からやっぱり『貴乃花』だろうね」ということをそのとき感じました。

10月11日には「化粧まわしなどの焼失事件」も発生

また、帰国予定日の10月10日は、「夕方まで自由行動」というのが基本スケジュールだったのですが、
「公務員給与の凍結決定に反対する『地下鉄・鉄道・バス・飛行機などの輸送部門』と『学校・病院などのサービス部門』とに携わる公務員500万人による24時間ゼネストの決行」が急に決まり、
「地下鉄などは動かない」という想定の下で「貸し切りバスでの集団観光」に切り替わりましたけれども、昼頃から大渋滞が起きてパリ市内を延々と歩かされたり、
シャルル・ド・ゴール空港へたどり着けば、出発予定者が沢山い過ぎて着席できる椅子がない、国内旅行と違って大量の荷物を持っているし窃盗被害者になってしまう可能性も大きいので気が休まらない、というこれまで経験したことのない苦痛の時間を強いられることとなりました。

加えて、(ネット上にある厚生労働省のPDFファイルによれば「9年ぶりの公共部門ストで公務員の約55%が欠勤した」ということですから)、
空港職員がゼネストで欠勤している中、全日空社員の方々が慣れない荷物引き受け業務に懸命に携わってなお出発時間が遅れましたし、
成田空港までの航空燃料は十分に搭載できたものの飛行機内にあまり水を積み込めなかったことで「トイレのご使用に差し支えは生じない見込みですが、節水モードでの機内サービスとさせていただきます。ご了承くださいませ」という機内アナウンスもあるなど、幾分の不安を抱えての帰国フライトとなりました。

そして、10月11日の午前11時(パリ時間=午前3時)ごろ成田空港に到着した時にはまだ知らなかったのですが、
「大相撲パリ公演1995」に先立って10月8日に行われた「大相撲ウィーン公演1995」で使用した力士の化粧まわしなどをド・ゴール空港へ送り第一倉庫に入れておいたところ、
(「お相撲始まる二日前に、放火になっちゃって・・・全焼になっちゃったの」とパリコレクション用の作品をいつもと違って第二倉庫に入れられたことで被災をまぬがれたデザイナーのコシノジュンコさんがラジオ番組で語った内容がネット上にありますけれども)、
10月11日に「化粧まわしなどの焼失事件」が発生しました。

当時の報道を思い起こすと「(24時間ゼネストの決行で)空港警備も手薄になったところから放火が実行された」という内容であったと思いますけれども、
「大相撲パリ公演1995」の広告ポスターを大量に見てきた直後であっただけに、
第1報を目にしたときには「無事開催できるのだろうか」と大変心配させられました。

が、(ネット上の記事を追いかけていくと「日本から他の力士の化粧まわしなどを急送して間に合わせた」説と「化粧まわしを着けないで行った」説とがありましたが)、
当時の続報に「関係する人々の努力で間に合わせた」と書かれていたことは覚えていますので、
「相撲協会の外でビジネスパートナーとして動く大企業などの力を借りるといろいろなことができるという一事例だったのだ」と今は思っています。

「横綱・貴乃花」と「貴乃花親方」の立ち位置の変化

ところで、それから22年の歳月が経過し、今は「『貴乃花親方』の理事解任の是非」をマスコミが連日報道するような事態になっています。

1995年10月時点での「横綱・貴乃花」の立ち位置について振り返ってみると、
1992年の1月場所での初優勝以来7回の優勝を重ねて新横綱になった1995年の1月場所で8回目の優勝、同年の5月・7月・9月場所でも優勝して通算優勝回数が11回の横綱でした。

ですので、力量的には間違いなく角界の頂点にいたわけですが、年齢的には同年8月で23歳になったばかりで、
(共に1994年生まれ23歳のフィギュアスケートの羽生結弦選手と米大リーグ挑戦の大谷翔平選手との謙虚な姿勢とはだいぶ違うことからもうかがえるように)、
「相撲は神事で、横綱は品格抜群の人が推挙されてなったもの」という前提の下でのある種の神格化対象になったことが、「ご自身の物心両面での感性を市井の人々のそれと相当違うものに変えてしまった」という側面があったのではないでしょうか。

もちろん、「横綱・貴乃花」はケガなどによって翌1996年11月から休場・途中休場の本場所が増えていったので、「力量の維持と成績不振の克服が深刻な課題となる中、否応なしに内面が磨かれていった」と信じたいですし、
「現役を引退し『貴乃花親方』として後進の育成にあたる中でも、さらに内面が磨かれていった」と信じたいですが、
この2か月間の「貴乃花親方」の行動と言動についての報道から「執行部の一員としてベストを尽くす姿勢」あるいは「外へ出て相撲ファンの方々のために新しい活動を始める姿勢」をくみ取れないことを残念に思っています。

(投稿日:2017/12/31  更新日:2020/06/05)

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