韓国で出会った「親切な私人」と「独善の公人」

景福宮・光化門

景福宮・光化門

「『景福宮入場料』お釣り着服事件」の被害者に

「北朝鮮軍人亡命事件と板門店ツアー」に書いた韓国単独視察旅行のときに、韓国社会が持つ日本と異なる特質をいくつか垣間見ることができました。
韓国と米国は日本にとって外交と防衛の両面でとりわけ重要なパートナーですので、「韓国社会への理解が(『韓流文化』の受け入れとは違ったレベルで)少しでも深まれば」と、「当時起きたこと」と「その後に考えたこと」とを書き残しておきたいと思います。

一つ目は「『2014年4月に発生した、安全性の低いセオル号の運航が認められ、事故が起きるとその船長が多くの乗客の救出作業を放棄して真っ先に避難し、ほぼ300人の若い命を奪った事件』に代表される公人の職務忠実度の低さ」を内包した韓国社会であるということです。
このことを私は「『景福宮入場料』でのお釣り着服事件の被害者になる」というかたちで身をもって知らされました。

事件現場の「景福宮」は李朝時代の宮殿の一つで、その中に「いにしえの建物」と「当時建設されたばかりの国立中央博物館」があることは事前調査で分かっており、
ソウル市中心部にある韓国大統領府(=青瓦台)の斜め前方に隣接する宮殿ですから、日本に置き換えてみると「首相官邸の斜め前(=国会議事堂・国会図書館・憲政記念館がある地域一帯)に江戸時代のいくつかの建物が現存している皇居東御苑があって、その中に上野公園内の国立博物館に匹敵する建物が新設されたばかり」というイメージを持っての探訪でした。

「親切な私人」の助力で「お釣り」が支払われることに

で、景福宮の入場券発券窓口へ行き、現在の入場料は一人3,000ウォン(約300円)ですから当時の入場料に対して現在の10,000ウォンに相当する現地通貨を差し出して、つたない英語で発券を依頼したところ、入場券を1枚差し出した後お釣りの小銭を探し出す気配は全くなく、窓口内にいた3人の女性職員がみな横を向いて私と目を合わせようとしないモードに入ってしまいました。

恐らく「『韓国人ガイド付きでない外国人』が『3つある発券窓口に一人だけ』で『数少ない通行人が時折視野に入るぐらいで周りに誰もいない』という状況の時には、釣銭を渡さなくても『言葉が通じないから無視しているとあきらめて帰る』ので、『所得税を支払う必要のない秘密の副収入』にいつもなる」という成功体験が背景にあったからだろうと今は考えていますが、
日本の国立博物館や新宿御苑の発券窓口では起こりえない事態に当惑しつつ、「入場料より多額のチップを支払うこと」には納得がいかない、「窓口で受け取ったお金と入場料との差額を自分たちのものにすれば『公務員による着服』で服務違反になるでしょう」と思える、といったことを(どこまで通じたか分かりませんけれども)英語で彼女たちに訴えざるを得なくなってしまいました。

そして、「暖簾に腕押しだ、困ったな」と思いながら5分ぐらい抗議していたところ、通行人のお一人が日本語で「どうしました?」と声をかけてくださったので、訳を話すと「国民の一人として恥ずかしい。まるでギリシャだ。管理事務所に行きましょう」とおっしゃって下さって、入場ゲートのところは顔パスで通り抜け、管理事務所長とおぼしき人に一部始終を韓国語で語り終え、管理事務所長から入場券発券窓口への電話での事実確認が行われた後、「入場料よりも大きな金額のお釣り」を受け取ることができました。

「日韓併合が与えた心の傷」をいや応なしに認識

その後、その「親切な私人」の方から「少しお話ししましょう」というお申し出があったところから屋外にあるベンチに腰掛けて日本語による対話が始まったのですが、
このときの3部構成のお話から韓国社会が内包する「日韓併合が与えた朝鮮の人々への心の傷」をいや応なしに認識させられることとなりました。

お話の冒頭部は「自分は大学教授をやっていて、学会出席でギリシャへ行ったところ今日のあなたと同じような目にあったことがある。自国民がギリシャ人と同レベルと知って恥ずかしい限りだ。
でも、あなたが『ここは韓国だから』と認識した上で日本語を使わずに抗議していなければ、『国内旅行と違うんだよ日本人』と思って自分が声がけをすることはなかったから、事実を知り得なかったし、結果、韓国へのイメージダウンの拡大を阻止できなかっただろう。声がけが、被害の回復に役立てたこと以上に、韓国の尊厳をささやかながら守れたことがうれしい。
というのも当時、京都の大学で学んでいた自分は太平洋戦争が始まる直前の6か月間『(開戦準備情報の流出阻止のためという不当な冤罪で)予防拘束』をされていたので、戦争が終わってから『二度と日本語など使うものか』と考え、今日に至るまで一度も日本語を口にしたことがなかったからで、
数十年ぶりに訪れた偶然の機会に日本語で自然に会話ができている自分がいることにある種の驚きを感じている」というものでした。
が、当時、私がお仕えしていた代議士は「学生時代に列車内での特高(=特別高等警察)による所持品検査を受け、スタンダールというフランス人作家の『赤と黒』という小説本を所持していたことで、(貴族院議員の子息と分からずにやったのかもしれませんが)『赤とは生意気だ』と難癖をつけられて殴られた」という話をされていたので、
そのことを思い出し、「治安維持法」の運用目的が「天皇制護持」から「朝鮮独立阻止」へ拡大解釈されていく過程での「拘束」ですから6か月間(警察署あるいは拘置所内の独房で)きっと厳しい取り調べがあったものと推測して、「お詫びの言葉」を述べなければと口にする言葉を選んでいるうちにお話は次の部分に移っていきました。

次の部分では、卒業大学を聞かれた後「小泉信三先生はお元気ですか」という質問があり、「ご他界なされました」と答えたところ、「そうですか、残念ですね。小泉先生は、あの時代の日本において、ただ一人のご立派な学者でした」という感想を口にされ、
加えて「朝鮮半島は、(『ソ連』ではない)ロシア・中国・アメリカ・日本からの圧力が常にかかり続ける、場所的に悪い位置にあるんですね」という表現で「過去2000年間を振り返ると、朝鮮民族をコントロールした国は日本だけではない」とも受け取れる発言が続きました。
ありがたいご発言でしたし、東宮御教育常時参与としての小泉信三先生が平成の天皇・皇后両陛下のご成婚に際して「キューピット役」を果たされたことについては多くの日本人が当時も認識していたところですが、経済学者としての小泉先生を高く評価してくださる方が韓国内にいらっしゃって日本国内にはほとんどいないという現実に突然向き合わさせられたことについては、幾分の当惑も感じました。

さらに、最後の部分は、「日本の人たちはあまり意識していないけれども、韓国のユニークな文化の中には世界中に知らせたいような良い部分があるのです。国立中央博物館の隣に韓国文化を展示紹介する国立民俗博物館ができたので、入場料はとられませんから、ぜひ見て行ってくれませんか」というお願いでした。

それで、対話が終わりお別れをした後、宮殿や庭園を見、国立民俗博物館に入館したのですが「日本と韓国の文化は相当に違うんだ」というのが率直な印象でした。
が、後に高倉健さん主演の「ホタル」という映画に、元部下の漁師が「朝鮮半島出身の学徒出陣組将校が特攻隊員として散華されたご実家」を見舞いに訪問するシーンがあり、その将校の方やご遺族の方々の複雑な思いを推し量る上での貴重な判断材料とすることができました。

「韓国の人たちの親切さ」もかなり実感

「韓国での単独視察旅行は非常に危険なので、トラブルが発生したらすぐ東京に電話を入れること。KCIA(韓国CIA)の知人に救援を依頼するから」と注意喚起を十分にされてからの小旅行でしたが、
繁華街にある韓国料理店で「店頭に掲げられているハングル文字と英文付きの料理写真」に魅かれて入ってみると英語で注文をとれる店員が一人もいなくて立ち往生したときにビジネスマン風の韓国人来店客の方に日本語を韓国語に翻訳して注文してもらえたり、ホテルのポーターさんに「この程度のお手伝いに対して受け取るわけにはいきません」とチップを辞退されたりして、「韓国の人たちの親切さ」をいろいろな場面でかなり実感できました。

このときからだいぶ時間が経ち、韓国の産業・経済・社会は大きく変化したわけですが、日本と韓国の物理的な位置関係は変えようもないので、できるだけ両国間に存在する諸問題の極小化に努力していくしか選ぶべき道はありません。
TBS系列で放送されている番組「ひるおび」で専門家の方々の解説を繰り返し聞いているうちに「そのときの『世論』優先で大局観を失っている政治は国民を将来不幸な目に合わせる危険性を高めるから、韓国政府しっかりしろ」という気持ちになってきていますが、
この記事をまとめる作業をしていて、「韓国社会が持つ日本と異なるいくつかの特質」への理解を私自身ももう少し深める必要があるのだろうな、と考えるようにもなりました。

(投稿日:2018/01/31  更新日:2020/06/05)

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