「スーパー台風」の定義と発生事例

ヤシの木と台風

ヤシの木と台風

もくじ

定義は「ピーク時最大風速=60m/s以上の台風」

このようなかたちで4年前に放映されたNスペが「非常に恐ろしい事態をもたらしかねない『スーパー台風』は現在の気候でも日本列島へ上陸することがあり得る」と指摘していたことを知りましたので、その後「では『スーパー台風の定義とは?』と『スーパー台風が日本列島にやって来た事例の有無は?』」について調べてみると、
「『スーパー台風』の定義」の方は名古屋大学の坪木教授がこの番組の中で「60m/sを超える台風を『スーパー台風』と呼ぶわけです」とコメントされていますので、「(日本列島上陸時の勢力はさておいて)『ピーク時の最大風速=60m/s以上』を記録した台風」を指しているらしいことがまず分かりました。

「天気(2018年6月号)」では日本上陸の4台風を列挙

一方、「過去のスーパー台風事例」については、日本気象学会機関誌「天気(2018年6月号)」に「坪木教授が書かれた『スーパー台風』という論文」があったのでそれを読んでみると、
7個挙げられている「代表的なスーパー台風」の中に、「2003年台風14号リンク先:気象庁「台風第14号」)」「1990年台風19号リンク先:気象庁「前線、台風第19号」)」「1982年台風10号リンク先1:気象庁「昭和57年7月豪雨と台風第10号」リンク先2:防災科学技術研究所ライブラリー主要災害調査「1982年台風第10号と直後の低気圧による・・災害調査報告」)」「1979年台風20号リンク先:気象庁「台風第20号」)」という4個の日本列島へ上陸した台風が含まれていました。

2003年台風14号

そこで、これら4個の台風について気象庁サイトのデータなどを見ていくと、
2018年より16年前に日本列島へ上陸したスーパー台風「2003年台風14号リンク先:宮古島地方気象台「台風による災害」)」は、ピーク時に「中心気圧=910hPa」「最大風速=55m/s」の観測記録を残して気象庁から「猛烈な台風」にランクづけられた台風で、
沖縄県の宮古島を「中心気圧=912.0hPa」「最大風速=38.4m/s」「最大瞬間風速=74.1m/s」で通過した後東シナ海に抜けましたが、
「上陸時中心気圧=912.0hPa」は(「1977年の『台風9号<沖永良部台風>』」のときに鹿児島県沖永良部で記録された907.3hPa、「1959年の『台風14号<宮古島台風>』」のときに沖縄県宮古島で記録された908.1hPa、「1934年の『室戸台風』」のときに高知県室戸岬で記録された911.6hPaに次ぐ)全国歴代4位の観測値で、
通過する際に宮古島の風力発電タワーを土台部から倒壊させた映像が「上陸時勢力=猛烈な台風」の実例としてテレビで繰り返し放映されていた台風でもありました。

1990年台風19号

また、2003年より14年前に日本列島へ上陸したスーパー台風「1990年台風19号」は、ピーク時に「中心気圧=890hPa」「最大風速=60m/s」の観測記録を残して気象庁から「猛烈な台風」にランクづけられた台風で、
和歌山県に上陸する直前には「中心気圧=950hPa」「最大風速=40m/s」の「強い台風」に勢力を低下させていましたが、台風が日本列島に接近する前に前線のゆっくりした南下があって台風が通り過ぎるまで各地に大雨を降らせた台風でもありました。

なお、この台風は、日本列島を縦断して三陸沖で太平洋上に抜けるまでの間に、
鹿児島県の名瀬市で「中心気圧=952.1hPa」、
和歌山県串本町の潮岬で「中心気圧=954.2hPa」「最大風速=33.1m/s」「最大瞬間風速=59.5m/s」、
高知県の室戸岬で「中心気圧=963.7hPa」「最大風速=43.3m/s」「最大瞬間風速=61.2m/s」
の観測記録を残していました。

1982年台風10号

さらに、1990年より8年前に日本列島へ上陸したスーパー台風「1982年台風10号」は、ピーク時に「中心気圧=900hPa」「最大風速=65m/s」という(約20年後の)2013年にフィリピンに上陸することになる「2013年台風30号(ハイエン)」と同等の観測記録を残して気象庁から「猛烈な台風」にランクづけられた台風でしたけれども、
東海地方に上陸直前には「中心気圧=970hPa」「最大風速=30m/s」の「(『強い台風』にあとわずか届かない『並』の)台風」まで勢力を落とし、
半日で日本海へ抜けて温帯低気圧に変わって北進する過程で、通過時までは「梅雨前線の影響もあっての大雨と暴風被害」、通過直後には「新たにやって来た低気圧による大雨被害」を生み出しました。

なお、この台風が日本列島に上陸する3~2週間前には、長崎市内で中島川などが溢れて眼鏡橋を破損させたときの映像が今もテレビで繰り返し放映されている「昭和57年7月豪雨リンク先1:気象庁「昭和57年7月豪雨と台風第10号」リンク先2:防災科学技術研究所ライブラリー主要災害調査「1982年7月豪雨による長崎地区災害調査報告」)」があり、
この1か月弱の間にあった2つの天災による物的損失は
(「防災科学技術研究所の主要災害調査報告」に書かれている数字を足しただけでも「7月豪雨(長崎県分のみ)=3,153億円」+「台風10号(全国での農林水産業分)=2,300億円」+「台風10号(全国での公共土木施設分)=3,900億円」=9,353億円ですから)1兆円を超えていて、
営業運転中の上越新幹線脱線事故まで引き起こした2004年10月の「新潟県中越地震」での被害総額約3兆円(リンク先:日本学士院「災害の経済的損失」)の三分の一超の水準になっています。

1979年台風20号

そして、1982年より3年前に日本列島へ上陸したスーパー台風「1979年台風20号」は、
ピーク時に「中心気圧=870hPa(ヘクトパスカル)」「最大風速=70m(メートル)/s(秒)」の観測記録を残して気象庁から「猛烈な台風」にランクづけられた台風で、
鹿児島県の沖永良部島付近を「中心気圧=959.9hPa」「最大風速=24.3m/s」「最大瞬間風速=40.6m/s」という「(『並』の)台風」まで勢力を落として通過した後、
和歌山県に上陸して本州縦断を開始する直前の高知県室戸岬で「中心気圧=967.7hPa」「最大風速=30.6m/s」「最大瞬間風速=39.9m/s」の観測記録を残しましたが、
暴風域の広い台風でしたので、(「中心気圧=981.8hPa」「最大風速=18.1m/s」だった)千葉県の館山市での「最大瞬間風速=50.0m/s」がこの台風での全国最速値となっています。

なお、館山市で全国最速値の「最大瞬間風速=50.0m/s」が記録された時間帯には東京都心でも同地での観測史上歴代2位となった「最大瞬間風速=38.2m/s」の雨まじり強風が吹き、
私自身も、(戦後っ子ものがたりサイト「『大雨→1議席減』で始まった自民党40日抗争」の方で触れているいわゆる「40日抗争」が始まって約10日が経過したばかりという「近未来に起きることを予測できない緊張感あふれる状況」の中で、どうしてもお仕えしていた代議士にレポートを届ける必要があったところから経企庁の大臣秘書官室へ向かう途中、大蔵省前の上り坂で)雨傘の傘骨を8本中5本折り、帰宅途中には「(当時は『自宅付近のハザードマップ』が作成されていない時代だったので)、あふれ出たトイレ・台所排水の含まれていることが見ただけでも分かる幅10mで最深部15cmぐらいの下水道水滞留スペースを意を決して渡る」という暴風雨時ならではの被災体験を初めてさせられました。

「(『気象史に残る異常な気象条件下にいたため』と分かったのは後のことですから)こんなことも起きるのだ・・・」と当時は思っただけでしたが、
もし自宅が「(満潮時海抜ゼロメートルの)江東デルタ地帯」などにあったとすれば台風の進路が微妙に変わることで「大雨による洪水」や「強風にあおられての高波・高潮」という要因までが加わって翌日から出勤できなくなっていたかもしれませんし、
いまは「『雨傘の修理依頼』『両足の洗浄』『靴下と革靴の処分』『背広上下のクリーニング店依頼』程度の被災体験で済んでよかった」と思い返しています。