2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震 | 被災前史

2008年6月14日の地震の震央図

2008年6月14日の地震の震央図
[引用元:気象庁「平成20年岩手・宮城内陸地震の特集」]

マグニチュード7.2の地震

平成20年岩手・宮城内陸地震(リンク先:宮城県「平成20年岩手・宮城内陸地震からの復興に向けて」)」と命名された、2008年(平成20年)6月14日の8時43分に発生した、マグニチュード7.2の地震です。

栗原市では「震度6強」、仙台市宮城野区五輪(仙台管区気象台内)と青葉区大倉(大倉ダム上流の気象庁設置無人観測点)と青葉区雨宮(仙台市青葉消防署内)では共に「震度5弱」を記録しました。

会社内と自宅内で書類の一部が崩落」へ

会社内と自宅内で書類の一部が崩落

この地震(リンク先:国土地理院「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震関連」)による大規模な地滑りや山崩れのショッキングな映像を見た首都圏の方々からは「大丈夫ですか?」というお見舞い電話を沢山いただくことになりました。

が、当日は数週間に一度土曜日にかかりつけ医の先生のクリニックを訪ねる予定日だったので、今はソチオリンピック金メダリストの羽生結弦選手の練習拠点としてすっかり有名になった「 アイスリンク仙台」から東へ1㎞のところにあるガソリンスタンドで給油をし、隣りの洗車場で車を整備していたときに、街灯が大きくしなるレベルの地震に遭遇しました。

地震が起きなければ(片側2車線の県道を挟んで)スケートリンクの真向かいにある大きな書店で本を捜し、その周辺に何店かある飲食店のどこかで昼食をとり、南東2㎞のところにあるクリニックに向かうつもりでしたが、
書類の散乱などが心配になりましたので会社に向かい、山積みにしていた書類の中で崩れて散乱していたものを片づけ、予定の時間にクリニックに到着できました。

その後、家に戻ると自宅内でも山積みにしていた書類の一部が崩れていましたが、こちらでの片づけ作業も短時間で済みました。

見かけた『路上で呆然の人たち』など」へ

見かけた「路上で呆然の人たち」など

なお、この日は被災状況を確認するための会社への移動中に「仙台市の地下鉄が数時間マヒしたことから『次どうしよう』と路上で呆然としている人たち」を台原駅近くで数多く見かけ、「大震災が起きたらこの何倍もの人が路上にあふれるのだ」と認識させられましたが、
日を置かずに報じられた「地震により崩れた書籍に埋もれて窒息死された方が仙台市内であった(引用元:一般財団法人・消防防災科学センター『バックナンバー2009冬号<4.平成20年の地震災害と緊急地震速報>』)」というニュースに触れることで、書類・書籍の崩落の危険性についても改めて意識するようになりました。

また、(大きく被災した地域には奥州藤原政権の首都「平泉」の南側に隣接する地域なので奥州藤原氏ゆかりの中世旧跡も多いのですが)、「平成の大合併」で栗原市になったことで重度の被災を受けた旧花山村、旧栗駒町、旧一迫町などで起きたことが「栗原市○○地区での被災状況」という報道になってしまったという特殊要因が加わったということも相まって、
大合併前にこの目で見た名所旧跡やお会いした親類縁者の方々の被災状況を把握するのに苦労させられ、「2003年7月26日の宮城県連続地震」のときと同じように「被災された方々への支援の在り方」について大変なプレッシャーを感じることとなりました。