「今後30年以内に99%」とのアナウンス
政府の地震調査研究推進本部が計算し公表してきた「次の宮城県沖地震が発生する確率」は、
(仙台市役所サイト内の「宮城県沖地震の発生確率」に取りまとめられている数字ですが)、
2000年(平成12年)11月に「今後30年以内に98%」で始まり、2003年(平成15年)6月に「今後30年以内に99%」という表現に変わった後、2005年からは毎年1月に2011年(平成23年)1月まで、都合7回「発生確率=99%」の発表が繰り返されました。
そのため、宮城県外の自治体と比較すると「より切実な問題」として官民双方の防災意識が高まり始め、所有者が「使用中の建物に対する耐震工事」に取り組んだり、備える人は「大地震発生の日」に備えて自主防災対策を進めたり地震保険に加入するようになりました。
実際、「今後30年以内に99%」という表現に変わった後、
「被災体験記ノートへの投稿記事『地震保険加入のおすすめ』」に記したように「宮城県での地震保険の世帯加入率」は、2004年3月末の前年度比3.8ポイント急増を経て、2011年3月末には(全国平均を4割上回る)全国2位の33.6%まで高まっていましたし、
「被災体験記ノートへの投稿記事『地震保険加入のおすすめ(その2)』」に記したように「宮城県での地震保険の都道府県別付帯率」は、2004年3月末の前年度比8ポイント急増を経て、2011年3月末には(全国平均を4割上回る)全国2位の68.7%まで高まっていました。
さらに、東日本大震災を経験した後の2012年3月末には、「宮城県での地震保険の世帯加入率」が9.9ポイント高まって全国1位の43.5%となり、「宮城県での地震保険の都道府県別付帯率」も12.4ポイント高まって全国1位の81.1%となりますから、被災後に「地震保険をかけておけばよかった。しまった」と思われた方々がかなりいらしたことも容易に推測されるわけですが、「発生確率=99%のアナウンス」は被災者の被ったダメージを小さくし日常生活の取戻しを早めることに貢献した適切な行政措置でありました。
「予測できない大地震発生があり得る」との言及も
一方、個人レベルでは、「被災体験記ノートへの投稿記事『東日本大震災の地震発生メカニズムについて』」に記したようなかたちで、
2005年の秋に、東北大学の研究施設から3人乗りの専用小型エレベーターで龍ノ口(たつのくち)渓谷へ降りて観測壕トンネル内に置かれた地震計を直に見せていただき、地上へ戻って研究施設内で地震や津波や火山噴火の被害を最小化するための観測装置と分析システムの開発・運用状況を教えていただいた後、長谷川 昭教授の講話を伺う機会があり、
その中で「『次の宮城県沖地震』は自分が定年退官する(2008年3月末より)前に起きるかも、と思っています。『昭和53年(1978年)宮城県沖地震』のときより激しい地震になるかも知れません。また、『次の宮城県沖地震』の他にも、発生周期が長すぎて発生時期を予測できない大地震の発生があり得ます」というご発言があったところから、
それまでも長年にわたって自主防災対策を進めたり地震保険に加入したりしていましたけれども、「大地震が起きたときどうする」とより真剣に考えるようになりました。
なお、「『東日本大震災』がらみの変動が継続していて確率を算出できなくなった」として、2012年(平成24年)1月算定分から2018年(平成30年)1月算定分まで、「次の宮城県沖地震が発生する確率は不明」とされていました。
が、政府の地震調査研究推進本部は「確率の算出が可能になったから」として2019年(平成31年)1月算定分の「次の宮城県沖地震が30年以内に発生する確率」を、
(1)「平均発生間隔が109年で『(マグニチュード7.9程度の)日本海溝沿いで起きる宮城県沖地震』は20%程度」、
(2)「平均発生間隔が12.6~14.7年で『(マグニチュード7.0~7.5程度の)ひとまわり小さいプレート間で起きる宮城県沖地震』は90%程度」、
(3)「(これまで算定対象としてきた)平均発生間隔が38年で『(マグニチュード7.4前後の)宮城県沖の陸寄りで起きる宮城県沖地震』は(2011年にひずみの開放があったので)50%程度」
という3本建てで公表し、
翌2020年(令和2年)1月算定分においては(3)の部分の確率を「(『時間の経過を反映させて』として)60%程度」に引き上げています。