トランプ辞任後の混乱は軽微? ニクソン大統領辞任日から1週間の滞米時を振り返って

自由の女神像

自由の女神像(ニューヨーク)

政治の世界は一寸先が闇

「政治の世界は一寸先が闇」ですから、トランプ政権の今後について確信を持って予言できる人は大統領自身を含めて一人もいないと思います。

が、トランプ大統領の辞任表明を受けてペンス副大統領の大統領就任が確定すれば、アメリカの人々の「ロシアゲート疑惑」への関心は急速に薄れ、アメリカ社会で起きている今の混乱もより小さなものに変化していくのではないか、と勝手に考えています。

ネット上には「1973年10月から(74年8月のニクソン大統領の辞任を挟んで)74年12月にかけて、NYダウは4割下落し、日経平均は3割ほど下がった」と読める「トランプ政権の景気対策への期待がしぼむ」という側面を重視した記事も掲載されていますけれども、
(そもそも大小様々な要因によって変動する為替レートや株価などの将来を前もって知ることは不可能に近いことでしょうし)、
少なくとも、「1973年10月には第1次石油ショックが発生して世界的に経済が大混乱し、74年の日本経済はマイナス成長だった」という、「石油ショックに起因する株価安」の側面については割り引いて論述して欲しかった、と素人ながら思ってもいます。

「トランプ辞任後の混乱」は軽微かも

ところで、「トランプ辞任後の混乱は軽微かも」と私が考える原点には、
(「国民の不満をあおって当選した大統領」か否か、「新大統領を支える政府幹部職員が必要な数だけ選任されている」か否か、という違いはあるのですが)、
「『ウォーターゲート事件のもみ消し疑惑』でニクソン大統領が辞任した直後の1週間に見たアメリカ国民の予想を上回る落ち着きぶりに強い印象を受けたから」ということがあります。

「ウォーターゲート事件」の全容

というのも、「ウォーターゲート事件」の全容については、ネット上に掲載されているたくさんの記事の閲覧や、ダスティン・ホフマンさんとロバート・レッドフォードさん主演の映画「大統領の陰謀」(1976年制作)の鑑賞で把握していただきたいのですけれども、
72年の6月17日にウォーターゲートビル内にある民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした人たちが警察に逮捕されたところから始まり、ワシントン・ポスト紙の「ニクソン再選委員会とホワイトハウスが関与」という調査報道を経て「もみ消し疑惑」への関心が高まる中、ニクソン大統領が73年10月に「大統領の会話録音テープ」の提出を求めたコックス特別検察官(73年6月に司法長官が任命)を解任したことで大統領非難の民意が高まり、74年7月に連邦議会下院の司法委員会が弾劾決議案を可決し8月19日に下院本会議での表決がセットされたことで8月8日夜(日本時間=8月9日昼)にホワイトハウスから辞任表明のテレビ演説を行ない翌9日正式に辞任、という経過を「ウォーターゲート事件」はたどっています。

すぐに忘れさられる「前任者」

が、私は、ニクソン大統領の辞任表明テレビ演説を東京都内で見聞きした8月9日の夜に、成田発のJAL機でサンフランシスコに向かい、現地時間の9日昼過ぎに到着したと思うのですが、
ワシントンDCとサンフランシスコではマイナス3時間の時差があり両都市間の所要飛行時間は5時間強ですので、合計すると私の到着とほぼ同時刻にニクソン氏は地元であるカリフォルニア州に帰郷されていたものと考えています。

飛行機と宿泊先ホテルまでの市内観光だけがセットされ、後は現地旅行会社によるオプション観光ツアーに参加するか自由行動というお盆休みを利用した観光旅行ではあったのですが、
ニクソン大統領の突然の辞任によって、ラッキーと思えたのは連邦議会下院本議場の演壇付近まで入れたことぐらいで、ホワイトハウス前でデモをしている人は皆無でしたし、観光名所も穏やかな表情の方々ばかりでしたから、まったく純然たる観光旅行となってしまいました。

とはいえ、「政権が代われば前任者はすぐに忘れさられる」という現実を実感できたことは大収穫でした。

(投稿日:2017/06/08  更新日:2020/06/05)

◀前のページ 3.「被災体験記ノート」