もくじ
- 迷った末の決断
- 「石巻の現実」を聞かされて受けた衝撃
- 日和山公園から津波被災地域を俯瞰
- 地元の人の被災体験談から受けた大きな衝撃
- 津波被災地域を歩いて感じたこと
- あの日から3年、石巻を歩くのは初めて
- 気になった「渡小だより23」の記事との整合性
- 生徒たちの興奮ぶりに息をのんだ湊中訪問
- まさかこれほど生徒たちが喜んでくれるとは
- 生徒たちの表情から読み取れた「大きな困難の中にいるという事実」
- 「来てよかった」と思った湊中学校
迷った末の決断
その次の第5パートの最初の部分では
「よみがえるうしろめたさ。帰国した羽生は笑顔の下に葛藤を隠していた。自分のメダルなど被災地の復興には役立たない。宮城県石巻に向かったのはその4か月後(=この月の中旬に2日間の凱旋公演が仙台市内で行われた2014年6月)、寄せ書きをくれた中学生たちに感謝の言葉を伝えたかった。迷った末の決断だった。繊細な心はこのときも揺れ続けていた」というナレーションと、
その間に入る羽生選手の「『行っちゃダメかな』って思ってたんです。『僕が行って何が変わるか』ってすごい考えて、『人の心の中をすごい土足で踏みにじっているような感覚』があるのですよね」というコメントをバックにして、
「成田空港でのオリンピック選手団出迎え風景の映像」、「羽生選手への石巻市へ向かう車中でのインタビュー映像」などが写しだされました。
「石巻の現実」を聞かされて受けた衝撃
日和山公園から津波被災地域を俯瞰
そして、石巻市の旧北上川河口を見下ろせる日和山(ひよりやま)公園に到着した後の第5パートの第2の部分では
「自分は津波の被害を免れ、仙台を離れてしまった。過酷な体験を強いられた人々の前に立てるのか。目の前には今も癒えない傷跡が広がっている。そこにはかつていくつもの家が立ち並んでいた。それぞれの屋根の下に笑い声があふれていたことだろう」というナレーションと、
それに続く羽生選手の「ここまで逃げてきたのかな」というコメントをバックにして、
「津波被災地域を俯瞰する映像」などがまず写しだされました。
地元の人の被災体験談から受けた大きな衝撃
また、その後、「地元の人が羽生に気付いた」というナレーションが入り、
土地のお二人の方から「すてきだ実際に見ると」(女性の方)、「日本にはない顔だ」(男性の方)、「顔も小顔でねスマートだし」(女性の方)、「どこさ行っても声掛けられすっぺ」(男性の方)、「そりゃーそうだね」(女性の方)と言われて羽生選手が「最近は」と答えたところで、
「たわいないやり取りが終わるころ男性が淡々と口にした言葉が突き刺さった」というナレーションが入りました。
というのも、土地のお二人から「家も何にも、うちでは女房から家から犬から小屋からプレハブから全部みな流されて、何もねんだ」(男性の方)、「奥さんまで流されたの。流されたっていうとおかしいけどね」(女性の方)という発言があったためで、
「石巻の現実、被災地の現実」というナレーションが入った後、男性の方は「頑張ってよ。見てっからね。画面ね」と言ってくれ、羽生選手は「ありがとうございます」と言って別れたのですが、
羽生選手の受けた衝撃はかなり大きかったようで「つらい、つらい、つらい、つらい。ねー、喜んで頂けるのはうれしいんですけど、つらいな。ねー、いまこんなに笑っておられますけど、ここまで来るのにどれだけの苦労があった。あー罪悪感がある。きつい、つらい、つらい、つらいぞ」という独白が続きました。
「団体行動中でない地元の人が有名人に気付いて声掛け」という事態が石巻市内で起きることはこの土地の文化からいって考えにくいことでしたが、
4月26日(土)午後に仙台市内で行われた凱旋パレードに9万人の人々が詰めかけ、2日後の月曜日の夜まですべてのテレビ局系列が何度もいろいろな番組の中でその映像を放映していましたから、
それらを含めた報道によって頭の中に刷り込まれていた人との突然の遭遇で「声掛け」をし「心の中に納めていた『被災体験』」をつい口にされた場面のように思えました。
津波被災地域を歩いて感じたこと
あの日から3年、石巻を歩くのは初めて
また、津波被災地域を歩く羽生選手の後ろに「震災時に焼失した門脇小学校の目隠し状態にされている校舎」が写っていますので日和山公園下の海側に降りた地域での映像と特定できるのですが、
第5パートの第3の部分では
「これから会う中学生たちもつらい出来事を乗り越えてきたに違いない。あの日から3年、羽生が石巻を歩くのは初めてのことだった。ここ石巻市では3,500人以上が亡くなり、いまもなお400人以上の行方が分かっていない」というナレーションに続いて、
羽生選手から「『本当はここに家があって夜はみんな寝てて』って考えたときに、その数字っていうのはどれだけ重いものか」というコメントがありました。
気になった「渡小だより23」の記事との整合性
このナレーションを聞いたときには8月20日付の投稿記事「『羽生結弦選手の被災地への思い』の背後にあるもの」の中で引用している「(羽生選手のお父上から)湊中学校も見に来たことがあった(と聞いた)」という「渡小だより23」の記事との整合性が気になりましたが、
調べてみると「渡小だより23」は湊中学校の校舎の修復工事が終る前の2014年2月25日付のものですので、今は「見に来たのは(震災の年か一昨年か昨年か分かりませんが)一つ目か二つ目の湊中学校の仮校舎のいずれか」で「石巻を歩くのは初めて」とナレーターは語っているのですから「自動車の車窓から見た」ということなのだろうと推測しています。
生徒たちの興奮ぶりに息をのんだ湊中訪問
まさかこれほど生徒たちが喜んでくれるとは
さらに、第5パートの第4にあたる湊中学校訪問の部分では
「気持ちの整理がつかないうちに目指す湊中学校が近づいてきた。震災当時、高さ4.5メートルの津波に襲われ、生徒ら4人が亡くなっている。この春、修復工事を終えた。羽生の訪問はサプライズ。先生たち以外には知らされていなかった。突然現れた金メダリストに沸き返る生徒たち。その興奮ぶりに羽生自身も息をのんだ」というナレーションに続いて、
羽生選手と生徒さんたちの間での
「キャー、キャー、キャー」「えー、初めまして羽生です。羽生結弦です。オリンピックの前に寄せ書きということで湊中(みなちゅう)のみんなからたくさんのメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。質問ある方いらっしゃいますか」
「あのー、ピストルポーズしてもらえませんか?」「ピストルポーズってなんだ?」
「スケートのやつです」「これ?ジーパンなんだけど」
「キャー、キャー」「そんなに興奮しないでいいでしょう」
というやり取りがあり、
「世界最高得点を出したときのポーズ。まさかこれほど生徒たちが喜んでくれるとは思ってもみなかった。復興には無力だと感じていた金メダルのように意味があったのかも知れない。胸の奥でうずいていたうしろめたさは少しだけ和らいだ」というナレーションが記念撮影の映像などと共に入った後、
羽生選手が生徒さんたちに「本当に大変なことばっかりだと思うんですけど、そこに全部『ありがとう』って言えるぐらいの気持ちを持っていれば絶対いいことがあると僕は信じています」と語りかける映像などが続きました。
生徒たちの表情から読み取れた「大きな困難の中にいるという事実」
有名人の小中学校訪問でのやり取りシーンを見たのは初めてで、「生徒さんたちが壮年になり老年に達するまでこの日のことを忘れない高いレベルの学校訪問を他の有名人の方々も各地でやっておられるのだろうな」と思いましたが、
それにしても、自宅を失いご両親の経済基盤も不安定になったことなどで、大きな困難のさ中にいることは生徒さんたちの表情から読み取ることができ、
津波被災地域の方々のためにあまり役立てていないことに私も罪悪感を感じてしまいました。
「来てよかった」と思った湊中学校
なお、第5パートの第5にあたる湊中学校訪問後の部分では
「『来てよかった』と思った。みんなに笑顔をプレゼントできたから。深い悲しみと向かい合った人々が、もしも自分に希望を重ねてくれるならきっと復興の助けになるだろう。その思いを込め今夜『一夜限りのアイスショー』」というナレーションがあり、
このナレーションの間に羽生選手の「こんなにも自分の演技で、自分の結果で、元気になってくれる。『自分のスケートがこんなにも人のためになっているんだな』って改めて感じたので、またいい結果を持って来れるようにしたいなって思いました」というコメントが入れられて、
これで「記録映像」の部が完結しました。