もくじ
- 官邸に欠ける「大雨に支援された側面もある大勝利」という認識
- 38年前には「大雨による低投票率」で「自民獲得議席減」
- 私は「ずぶ濡れになる大雨」の中を投票所へ
- 「意志表示志向の強い方」だけが投票所へ
- 8か月後には「得票総数=約12万票増」に
- 「大雨による低投票率」の影響は38年前より大きかったのでは?
官邸に欠ける「大雨に支援された側面もある大勝利」という認識
先日(2017年10月22日)の衆議院議員選挙で「与党圧勝」という結果が出たことについては「野党分裂選挙が主要因」と広く言われています。
そうなのでしょうが、一部に指摘があるように「大雨によって投票所に足を運べなかった人々が投票していたら『野党の競り負け候補』はもう少し減っていたのだろう」と私は思っています。
実際、TBS系列の番組「ひるおび」の中で政治記者歴40年の田崎史郎氏は「(マスコミ各社の『出口調査速報』が伝わってこない段階の)投票日午前中まで自民党サイドは『50議席減』を覚悟していたんです」という趣旨のコメントをされていたぐらいですから、
「先日の選挙では大雨が与党に実力以上の議席を与えてくれた」という認識をベースにして自民党内には「圧勝したことでの高揚感」があまりなく、首相とその周辺の方々だけが「賭けに勝った。『突然の解散総選挙』を仕掛けて有権者の信任を得たのだから、次の参議院議員選挙まで好きにやらせてもらおう」と高揚している、という構図ではないかと推測しています。
38年前には「大雨による低投票率」で「自民獲得議席減」
ところで、「大雨による低投票率選挙」は38年前(1979年10月7日)にもあり、このときの衆議院議員選挙では大雨が「『議席増』と予測されていた自民党を追加公認を含めても前回比1議席減(248議席)の惨敗」に追い込み、
「40日抗争」と呼ばれる大平首相の敗北責任をめぐっての主流派と反主流派の対立激化、
首班指名選挙への1党から2候補(大平首相と福田前首相)の立候補と大平首相の僅差での勝利、
野党提出「内閣不信任案」採決時の(反主流派が本会議を欠席したことでの)同案可決を踏まえた大平首相による「ハプニング解散」への踏み切り、
選挙期間中の大平首相の急死と党を挙げての弔い合戦化での自民党圧勝、
と前例のない事態が続発していくトリガーとなりました。
私は「ずぶ濡れになる大雨」の中を投票所へ
この38年前の大雨は、気象庁サイトの「台風経路図 昭和54年(1979年)」によると、投票日当日の午前9時に名古屋市の南方300キロメートル程度のところまで来ていた台風18号が、数時間後に静岡市の南方100キロメートル程度のところで熱帯性低気圧に変わり、三浦半島沖と三宅島の真上を経て午後9時に房総半島沖に至るまで本州南岸と平行するかたちの進路をたどったことでもたらされたものでした。
事実上の台風がそのような進路をたどった結果、気象庁サイトの「過去の気象データ『アメダス世田谷観測点での降水量』」を見ると、1979年10月7日の24時間降水量は113ミリメートルと「滅多にない100ミリメートルの大台」を超え、投票時間の中に(テレビの天気予報番組でよく見る降水量予測マップ中に「濃い青色の降水ゾーン」で表示される)1時間で10ミリメートル台の降水量を記録した時間帯が3回出現しています。
このときのことを「アメダス世田谷観測点」から2~3キロメートルのところで生活していた一個人の体験として思い返すと、お仕えしていた代議士が中選挙区時代の東京3区(目黒区と世田谷区)に立候補されていましたから私には「棄権する」という選択肢がなく、「すごい雨だな」と思いながら投票所へ行って自宅に戻ってきたときにはズボンの膝から下の部分がずぶ濡れ状態になっていました。
「意志表示志向の強い方」だけが投票所へ
そして、「こんな悪天候の中ではよほど意志の固い方でないと投票による意思表示を見送るだろうから、投票率はかなり下がるのだろうな」と思いながら選挙管理委員会によるデータの公表を待っていたところ、
いつもは60パーセントぐらいある旧東京3区での投票率がほぼ50パーセントと約10ポイント急落してしまい、得票総数そのものも前回選挙比で約10万票減りました。
また、それまで公明党と選挙協力してきていた民社党と新自由クラブが候補者を立て合計で約10万票を獲得しましたので、両党の新人2名を除く公明・自民(2名)・社会・共産各党から公認を得た5名の方々の合計得票数は前回比20万票減。
当選者の得票差は1位から4位までの4人の間がわずか約5千票、4位と次点(5位)との得票差は約5千票、次点(5位)と次々点(6位)との得票差も約5千票、6位と7位の得票差は約1千票、という選挙結果にどの陣営の関係者も「誰が落選していてもおかしくなかった。選挙は本当に恐ろしい」と肝を冷やさずにいられませんでした。
8か月後には「得票総数=約12万票増」に
ですが、次の総選挙(1980年6月22日)では得票総数が(前々回とほぼ同じ数に戻ったのですけれども)約12万票増え、公明・自民(2名)・社会・共産各党公認候補5名の合計得票数は前回比約9万票増、民社・新自由クラブ両党公認候補2名の合計得票数は前回比約3万票増で、「この結果なら理解できる」というレベルの獲得票数になりました。
結果、有権者の方々の投票行動は「その時々の社会情勢」や「ご自身とご家族と勤務先が直面させられている諸問題」や「候補者自身が引き起こしたスキャンダル」などによって毎回変わるにしても、
有権者の方々の中には「大雨の中でも投票所へ足を運ばれる『意志表示志向の強い方』」と「そうでもない方」とがいらしゃるのだ、と痛切に思い知らされました。
「大雨による低投票率」の影響は38年前より大きかったのでは?
今回(2017年10月22日)の大雨について気象庁サイトの「過去の気象データ『アメダス世田谷観測点での降水量』」を見ると、24時間降水量は1979年10月7日より4割も多い158ミリメートルで、投票時間の中に1時間で10ミリメートル台の降水量を記録した時間帯が(同じ日よりも2回多い)5回出現しています。
また、内閣府が発表した「平成29年台風第21 号による被害状況等について」には、投票日当日のほぼ午後12時までの主な「24時間降水量(アメダス観測値)」が「三重県尾鷲市=586.5ミリ」から「三重県松阪市=396ミリ」まで三重・和歌山・奈良県内の10地点分、「主な1時間降水量(アメダス観測値)」が「三重県尾鷲市=90.5ミリ」から「三重県多気郡大台町=56ミリ」まで三重・和歌山・静岡・神奈川県内の10地点分掲げられていますので、「大雨の中でも投票所へ足を運ばれる『意志表示志向の強い方』」の中にも棄権しなければならなかった方々が全国的にそれなりの数でいらしたようにも思えます。
自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長の「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。勝って兜の緒を締めよだ」発言は、応援演説で全国各地へ足を運んで感じ取った民意を反映してのものなのでしょう。
「大雨に支援された側面もある大勝利」という認識を持って真摯に国政が運営されることを願うばかりです。
(投稿日:2017/11/08 更新日:2020/06/05)