できる限りの自主防災対策を
防災対策は体験ベースになりがち
「東日本大震災(リンク先:気象庁「平成23年東北地方太平洋沖地震」)」の発生以降、「自助的な防災対策」についての記事・コラムを数多く読めるようになりました。
また、「防災グッズ」についての広告も、それ以前とは比較にならないぐらい増えました。
ですが、これらに盛り込まれた情報を基に自らの防災・減災を考えるときに、
たとえば「『震度5弱』の地震でほとんどの交通機関がストップして『帰宅困難者』になったから」とか「『昭和53年宮城県沖地震(リンク先:仙台市「1978年宮城県沖地震」)』で両親がこんな部分で困っていたから」など、
身近な体験のフィルターをかけてしまうことは避けられないことなのだと思っています。
「それなりの自主防災」でも有効
私自身、1995年1月に発生した「阪神・淡路大震災(リンク先:神戸市「阪神・淡路大震災の記録」)」から1年半が経過し、高速道路の復旧工事の終了があり交通渋滞が解消した直後の96年10月末に、神戸市内の被災現場を取引先の方に案内してもらう機会がありましたが、率直に言って
「『1階部分が押しつぶされた民家』『多数の亀裂が外壁に残っているビル』『ドラム缶内の火で暖を取る住民で溢れていた避難所だった小学校』『全焼した市場跡の空地』などの中で、当時、何が起き、被災者の方々がどんな困難に直面させられていたか」について明確に想像してみることはできませんでしたし、
「被災前史」のページ群に書いたような体験を積み重ねることによって「それなりの自主防災対策」を行ってきていました。
もし、「それなりの自主防災対策」を行っていなければ、「6回の『震度4~5』小規模被災経験」のページに記したように私も避難所で生活支援を受けたり、マイカーをシェルター代わりにしたりする必要性が生じたことでしょう。
やはり、建物自体が崩壊してしまうようなもっと強い震度の地震でなければ「それなりの自主防災対策」は有効であった、といま振り返っています。
様々な情報に触れ巨大災害に備えて
一方、「どなたにも日々やる必要のある諸々のことがあって、行政に勧められた『自助的な防災・減災対策』を完全に行うことは不可能であろう」と推測しますけれども、
この「被災体験」のページ群には
「結果的に不十分な自主防災対策だった。より高いレベルの対策を行っていれば、もっと楽に被災後の生活を再構築できたのに」
という私の反省のメッセージも率直に書き込んできたつもりです。
このサイトを訪れた方々が、これから触れられる様々な情報の中からできるだけ多くのものを汲み取られ、
「首都直下地震(リンク先:東京都防災ホームページ「地震の被害想定」)」
「南海トラフ巨大地震(リンク先:内閣府防災情報のページ「南海トラフ巨大地震対策」)」など
今後発生するかもしれない巨大災害にお備えいただければ幸いと考えております。