会社内の場合
会社では
3月13日(被災から3日目、日曜日)の午後3時過ぎに通電(=電気の供給ストップが終了)し、水道水の供給が再開されれば屋上タンクに水を上げられるようになりましたが、
会社のある地域一帯ではおよそ1週間断水状態が続いたので、
停電前に汲み上げてあった屋上タンク内の水が皆無にならないように「会社内での水の使用量を最小限にとどめるための『トイレでの水使用ルール』」と「自宅への水の持ち帰り禁止」を決め、
水道水供給の正常化を待ちました。
水道水供給の正常化時点で「屋上タンク内にどれだけの水が残っていたか」については報告を受けていませんが、断水状態が終わったときまで「トイレで最小限の水も使えず業務に支障が出る」という事態は起きませんでした。
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自宅内の場合
まず「備蓄の水」と「汲み上げた水」で対応
3月11日(被災当日、金曜日)の自宅マンションには、
この時点では「浴槽に使用済みの水を残しておく習慣」こそ持ち合わせていませんでしたけれども、
「2リットル入りの賞味期限切れの水」が2ダースと
「2リットル入りの飲める水」と「500ミリリットル入りの飲める水」が各々数本
ありました。
ですので、「断水が続いても数日間は『飲み水』『(飲み水以外の)生活用水』共に対応できる」と思いましたが、被災当日の夜は停電前に汲み上げてあった屋上タンク内の水道水の供給が続いていましたので、「備蓄していた水」を使う必要はありませんでした。
が、翌3月12日(被災から2日目、土曜日)の朝に会社に向かう前には断水状態に変わっていたところから「備蓄していた水」を少し使い、
その後、自宅玄関を出て(エレベーターは「震度6弱地震の直後」ですから当然動いていないため)階段を下りて行ったところ、マンション玄関脇の掲示板に管理組合からの「仙台市水道は断水中(リンク先:仙台市水道局「東日本大震災 仙台市水道復旧の記録」)だけれども、停電で屋上タンクに上げられない地下タンク内にある水を(駐車場スペースの一角にある)消火栓脇の蛇口から出すことができるので利用してください」という案内があったので、
3月12日(被災から2日目、土曜日)の正午過ぎから3月13日(被災から3日目、日曜日)朝の会社に向かう直前までに延べ3回、10~12リットル入る大きなバケツに水を入れて(途中何回かの小休止を入れながら)階段を持って上がり、飲み水以外に使いました。結果、「用意していた『簡易トイレ(非常用トイレ)』」を使用する機会はありませんでした。
なお、1回目の水汲み時に階段を下りていくと、
初めてお会いした男性居住者の方が水の入った(私のものほどは大きくない)バケツを持って上がってこられて、すれ違いざまに「トイレは使えないし、死にそうだ」と呻くように言われたのですが、
「私のところでは用意していた『簡易トイレ(非常用トイレ)』や『洗面所・トイレで使える賞味期限切れの水(=停電が終われば電子レンジで沸騰させて飲み水にもできると理解している水)』の備蓄が皆無だったのだろうか」
とご苦境に強く同情させられました。
そこで、この方にはお部屋番号が分からないので差し入れられませんでしたが、3月14日(被災から4日目、月曜日)の朝に、断水による水不足が予測される会社に、飲み水以外の用途で役に立てばと考えて「賞味期限切れの水」の一部を運び込みました。
通水再開は被災から3日目の夜
一方、3月13日(被災から3日目、日曜日)の18時30分に突然予告なしに通電(=電気の供給ストップが終了)したところから洗面台などいくつかある水道栓の蛇口を開けて待っていたところ、
21時頃に地下タンク内から屋上タンクまで上げられた水道水が供給されるようになり、
(浄水器は落下して壊れてしまっていたので「水質は大丈夫か」と幾分の怖さはありましたけれども)
「飲み水としても使用可の水」を普段通りに使えるようになりました。
仙台市水道の断水(リンク先:仙台市水道局「東日本大震災 仙台市水道復旧の記録」)がいつ終わったかは把握していませんが、
都市ガスの供給が止まっているのですからマンション内での風呂水としての使用量は約1か月間ほぼゼロだったはずで、
この夜以降「屋上のタンクが空になって再断水」ということは起きませんでした。