会社内の場合
会社での都市ガスの供給再開(リンク先:経済産業省「東日本大震災を踏まえた都市ガス供給の災害対策検討報告書の要点」)は、被災当日からほぼ4週間後(被災から27日目=その日の夜中に会社と自宅では「震度6弱地震」が再発した4月7日)でした。
仙台市ガス局のサイトにある「東日本大震災における都市ガスの復旧状況等について」のページからたどっていくと、4月7日は「復旧率が(51.8%と)半数を超えた日」の翌日ですので、
熊本県庁サイトにある「平成28年熊本地震に関する災害対策本部会議資料」のページ内資料に書かれているように「熊本市内での『復旧率が(51.4%と)半数を超えた日』が本震の発生から11日目であったこと」と比較すると、
仙台市内での都市ガスの供給再開には半数レベルで3倍近くの日数がかかっていたということになります。
ですが、私たちの会社内での苦しみは、(都市ガスの供給再開は仙台市の周辺部を終えてから中心部への順に進められましたので)、繁華街に位置するホテルや飲食店など都市ガスの使用を前提にして営業をされていたサービス業の方々がもう少し先まで強いられた塗炭の苦しみには遠く及ばないレベルのものでした。
また、「仙台ー福島間での運転再開が4月25日」で「仙台ー一関間での運転再開が4月29日」と1か月半以上東北新幹線の運休が続いていたこともあって、震災後しばらくの間はお茶をお出ししないと失礼になるレベルのお客様の来訪がありませんでしたし、社員の昼食は電子レンジでの加温などで済んでいましたから、個々人の私生活レベルでの苦しみと比べても深刻度は相当に軽いものとなっていました。
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自宅内の場合
被災から25日目にガス供給が再開
なお、自宅マンションへの都市ガスの供給再開(リンク先:経済産業省「東日本大震災を踏まえた都市ガス供給の災害対策検討報告書の要点」)も、被災当日からほぼ4週間後(被災から25日目=4月5日)でした。
が、こちらの方では「お風呂に入れない」という深刻な問題に悩まされることとなりました。
(気温が温かくなった時期に使用を止めることができ、次の被災時に受けるダメージを小さくするためにその後も続けている「洗面台とシンクでのお湯の不使用」と違って)、どのようなお客様がどういったタイミングで会社を訪ねてこられるか事前に分からないところから、「(異臭を放とうが)入浴しないで都市ガスの供給再開の日を待つ」という選択肢を現実には選べないために生じた問題なのですが、解決方法の第一としてまず水だけのシャワー的入浴を試みてみました。
実は、小学校中学年の頃までに三居沢(さんきょざわ)不動尊でお一人あるいは数人で来られて滝にうたれながら祈っておられる老若男女を(「よくできるなあ」と驚きと尊敬の念を抱きながら)延数十人見たことがあったり、東京で夕刊紙の記者をやっていたゼミの同期生が山形県内での行者修行体験ツアーに参加した後に「滝行など厳しいところはあったけど、有意義な3日間だった」と話してくれたことがあったりしたための「実験的な『水行』」でしたが、
積雪9cmの日もあった3月中旬にマンション屋上の貯水タンク内で冷やされた水道水の水温はあまりにも低かったため、懲りながら回を追うごとに電子レンジでつくるお湯の量を増やし魔法瓶などに溜めて、シャワー的入浴を続けることとなりました。
「『断ガス』への備えの甘さ」を強く反省
「昭和53年宮城県沖地震(リンク先:仙台市「1978年宮城県沖地震」)のときには『(東北電力の社内事情が背景にあって他の地域よりも後回しにされたといううわさがあるぐらい自宅周辺の通電が遅れたので)、電気よりも都市ガスの供給再開の方が早かった』と両親から聞いたはず」と誤って認識していましたし、
(昭和53年宮城県沖地震は6月12日という初夏の発災だったこともあってか)この地震での被災体験を語ってくださった数百人の方のどなたからも「都市ガスの供給停止で入浴できずに困った」という話を聞いたことが無かったために、
冬場の発災であれば必要になるはずの「大型電気湯沸し器」を用意しておらず、新聞各紙に「ホームセンターではお湯を電気で沸す諸製品が完売状態に」といった記事が掲載される度に、「何で大震災の前に気付かなかったのだろう」と大きな自己嫌悪感を抱かされました。
また、「カセットコンロ(簡易ガスコンロ)とカセットボンベ(ガスボンベ)も防災グッズの代表的なものなのに」と、それらを用意していなかったことについて強く反省させられました。