「親類縁者の安否」が最大の関心事に
結果、私が離社できたのは地震発生から約2時間後となりましたが、
幸いマイカーは、停電で「上下左右に動かなくなった立体駐車場」や「清算機が機能せず遮断棒が上がらない時間貸しの駐車場」の中にはありませんでしたので、すぐに動かすことができました。短い時間でしたけれども、2時間ぶりに暖気の中に身を置くことができたのも幸いなことでした。
そして、交通信号は停電ですべてが消えていましたが、
いくつかの交差点では(あらかじめ所轄署内に緊急時の配置計画書が用意されていたのでしょう)警察官の方たちが手信号による交通整理をされていたので、利己的な行動をとる車も見られず、
普段の通勤所要時間と同じぐらいの時間で帰宅することができました。
途中、マイカーの車窓から見える民家を中心とした建物の中に倒壊したものは皆無でしたけれども、「会社向かいのマンション3階の部屋の中が生活できない状態」という情報も耳にしていましたので、「車窓左右のお宅の中も、家具が転倒したりしていて、すごいことになっているのだろうな」とは思いましたが、この時点では実感を抱くことができませんでした。
また、帰り道では避難所に指定されている小学校の正門前の横断歩道で「荷物をいっぱい持った(小さな子供さんと女の方ばかりの)何組かの避難家族の方々の青信号化待ち」があって、
なぜか突然思い出した「関東大震災のときの被災者の方々の写真」と重ね合わせ、
「自分も数時間後には避難所で生活を始めることになるのだろうか。そのとき空きスペースが残っているのだろうか」と心配になりました。
ただ、東日本大震災の発生から10年たった今でこそ「昔、父親から聞いていた『天明の大飢饉で多くの人々が亡くなった後の親類縁者関係の変化』と類似した状況下に突然置かれることになっているのだ」という心境に達していますが、
このときはマイカーを走らせているうちにワイパーで払う必要があるレベルの雪が降り始め、カーラジオは引き続き「大急ぎで高台に逃げてください」という呼びかけだけを繰り返していましたので、
自分のことよりも「親類縁者の方々が大津波から逃げられたか。逃げられても寒さに耐えきれておられるだろうか。今後のお付き合いはどうなるのだろうか」と大津波想定地域にお住いの数多くの方々のことばかりを考えていました。
「マンション自主管理化の短所」も鮮明に
そして、自宅マンションまで戻り、この駐車場も立体駐車場ではないのでマイカーを置いてマンションの正面玄関を入ると、(ご自宅への帰り方について心配でないはずがないのに)勤務時間が終わっても管理人さんが残っていてくれましたので助言を求めたところ、
「家財の散乱状態はお宅によって相当違うようです。
これまでのところ『自宅玄関の扉が開かない』というお宅の話は聞いていませんから、最悪でも扉と枠とが接触している部分が離れるような角度を見つけて引っ張ることで、玄関の中に入ることはできると思います。
大きな余震が何度も起きてますので『余震の怖さにどの程度耐えられそうか』と『部屋の中の家財の散乱状態』とで判断して、『在宅可』と思われたら残られ『避難所へ行こう』と思われたらそちらに移動するのが良くはありませんか」
というお話がありました。
そこで、エレベーターは地震動で自動停止したまま動かないので、階段を上って非常扉から廊下に出て、自宅玄関の扉を開けてみると、
「落下物を片づけないとすぐ先の靴脱ぎスペースにもたどり着けない状態」ではありましたが、部屋の中で生活できる可能性は十分に感じ取れましたから、
避難所には行かず在宅で生活を継続する道を選ぶこととしました。
このマンションは(毎年役員は変わっていくのですが)管理組合の力が強く、
「消費税が3%から5%に上がった直後に起きた金融危機」のときに日本を代表する不動産会社の分譲物件であった関係で管理委託を受けていた系列のサービス会社に対して「管理委託費を引き下げてくれなければ組合による自主管理化も考える」と申し出て、
サービス会社に実際に諸作業を行なういくつかの会社と交渉してもらって「エレベーターの保守料を大きく引き下げてもらうなどの『成果』」を得たところから自主管理化は見送りとなっていたのですが、
こういった緊急事態に直面してみると、
管理人さんの対応一つをとってみても管理委託先会社との交渉がこじれて「マンションの自主管理化」へ舵を切らずに済んでいて良かった、
と改めて思わされました。