行なえたのは軽度の減災対策だけ
第3ステージの復旧作業である「震災再発(=大余震などの発生)時の安全度を高めるための追加の防災対策」について、会社では、
(「ヒビの入った窓ガラスの交換」は歩行者の方々を傷つけるといけないので別基準で行ないましたが)、「物がぶつかってブラインドの羽が傷んだ」とか「転倒したり動いた備品・機器に衝突傷が残った」といったといった見栄えはともかく機能面で損傷が無かったものについては手を付けないこととし、
「重いものは床に置く」といった程度の軽度の減災対策だけを行うにとどめました。
環境の激変で着手を見送りに
というのも、
社内面では「(被災当日からほぼ2か月が経過した)5月上旬のゴールデンウィーク明け以降にプレハブ応急仮設住宅への入居が始まった時点で初めて『避難所である小学校の体育館から出社しそこへ帰る社員の人がゼロになった』という状況」の下では「積極的に会社として追加の防災対策に取り組もう」という空気が社内で高まってこなかったからですし、
対外面では日常的に行なってきたお客様対応が大自然災害と原発事故を背景とした産業・経済・社会環境の激変によってできなくなってしまい、防災対策原資を用意できるかどうかも分からなくなってしまったからでした。
「たら、れば」の世界ですが、「『巨大津波襲来の可能性』について行政による住民への注意喚起が、『過去の津波襲来を体験した人々が(少数化したとはいえ)住まわれている三陸沿岸の地域』と『過去にあった巨大津波襲来の痕跡が指摘されはじめていた(逃げ場となる高台が存在しない)沿岸平野地域』とで、もっとなされていたら」とか「『巨大津波襲来に備えての原発電源装置の高台移設』を、『巨大津波襲来時の電源喪失の危険性』と関連付けて指摘されたときに、東京電力首脳部が決断していてくれていたら」とか、「『できたことをやっていなかった』という検証報道」に触れる度に、残念な気持ちがわき上がってきます。