小規模被災経験ページ群の構成
1978年に発生した「昭和53年宮城県沖地震」が歴史的事実として人々の記憶の中に残っていた時期にあたる「東日本大震災前に12年間で6回あった小規模被災経験」を記した本ページ群は、
このページ内をスクロールした先に置かれた「『震度4~5地震』は12年間に9回発生・無意識のうちに自主防災対策を強化」と、
その下に置かれたナビゲーションボタンなどから各々のページにジャンプできる「1998年9月15日の直下型地震」「2003年5月26日の三陸南地震」「2003年7月26日の宮城県連続地震」「2005年8月16日の宮城県南部地震」「2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震」「2008年7月24日の岩手沿岸北部地震」との、
7ページ構成になっています。
「震度4~5地震」は12年間に9回発生
「気象庁の『震度データベース検索』」でたどると、「昭和53年宮城県沖地震(リンク先:仙台市「1978年宮城県沖地震」)」の翌年から「東日本大震災(リンク先:気象庁「平成23年東北地方太平洋沖地震」)」の前年までに「震度4」以上を記録した地震は、
(1)「宮城野区五輪(仙台管区気象台内)」で1981年が1回、1987年が3回、1993年・1996年・1998年・2001年が各1回、2003年が2回、2005年が1回、2008年が2回、2010年が1回、
(2)1995年から記録が出てくる「青葉区大倉(大倉ダム上流の気象庁設置無人観測点)」で1998年が1回、2003年が2回、2005年・2006年が各1回、2008年が2回、
(3)2002年から記録が出てくる「青葉区雨宮(仙台市青葉消防署内)」で2003年・2005年が各1回、2008年が2回、2010年が1回なのですが、
私はこのうち3度の地震では「地震だな」と思わされただけでしたけれども、1998年(=1回)と2003年(=2回)と2005年(=1回)と2008年(=2回)の6地震では小規模な被災経験を個人レベルでさせられていました。
無意識のうちに自主防災対策を強化
「1998年9月15日の直下型地震」のページに記したような「本箱上からの雑誌と書籍の大量落下」はかなりショッキングなできごとでしたが、
以来12年間で6回の小規模被災経験ですので、その度に「ここが悪かったのか」と反省しながら
無意識のうちに自主防災対策を強化することとなりました。
もし、これらの小規模被災を経験しないで東日本大震災に直面させられていたら、
(フィギュアスケートの羽生結弦選手も3月11日から14日にかけて避難所内でつらい思いをされた方々の一人であったわけですけれども)、
仙台市の「東日本大震災 仙台市 震災記録誌-発災から1年間の活動記録-」にはPDFファイル「第5章:発災直後の生活復旧」内の141ページに「3月11日と15日には各々約7万人、12日から14日にかけては各々約10万人の市民が避難所生活」と分かるグラフが載せられていますので、
同じ場所で同程度の被災をしていた場合、私も羽生選手がそうであったように、「家具の転倒」によって散乱した物品の片付けが終わるまで、かなり高い確率で避難所での生活支援を受けなけらばならなかったように思えますし、本当に「禍福はあざなえる縄のごとし」という格言をかみしめているところです。
「1998年9月15日の直下型地震」、「2003年5月26日の三陸南地震」、「2003年7月26日の宮城県連続地震」、「2005年8月16日の宮城県南部地震」、「2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震」、「2008年7月24日の岩手沿岸北部地震」、について以下のページに記述します。