大震災以前の自主防災対策 | 被災前史
もくじ 被災前史ページ群の構成 やっていた「それなりの地震対策」 背景にあったのは次の3点 被災前史ページ群の構成 「2度も『震度6弱地震』で被災し『り災証明=半壊、家財保険=半損、住宅保険=一部損の判定』を受けた一仙台…
「きずな1103」の管理人は、当時日本中で20名にも満たない政策秘書の一人として十年間以上「政治家とお役人の(『職務遂行努力』と『やるべきことの先送り』とを含む)日本の産業・経済・社会運営への取り組みぶり」を垣間見た経験を併せ持つ、東日本大震災での仙台市内中・軽度被災者の一人です。
また、管理人は仙台市出身者でもありますので、「『次の宮城県沖地震の発生確率=30年間で99%』という国からの発表があって、住民レベルでは『地震保険の加入率の跳ね上がり』が起きたけれど、行政レベルでは『公助と共助の態勢整備の強化』が目に見えて起きなかった」という「3.11」に至るまでの日々の振り返りが可能なところから、「社会全体の富の蓄積が進んだことで行政の質の低下が加速化したのでは」という心象を得てしまい、
であれば私たちは「自己責任で『自助防災努力の大切さ』を意識する必要性がより一層高まった社会の中を切り抜けていく以外に選ぶべき道を持たない」ということになりはしないか、と危機感を抱くようにもなっています。
昔、日経新聞の「私の履歴書」に「『東京大空襲』と『敗戦』は必至の情勢なので、(その後『占領軍将兵用の病院』として使うことが予定されているように推測できた)築地の聖路加病院については破損を避けるために爆撃対象地域から外すだろうと考えて、その周辺に引っ越したことで家と財産を失わずに済んだ」と自慢げに書いている方がおられましたが、
当時と違って今はご自身の裁量でやれることがいろいろとある世の中ですし、このサイトへの訪問を「前もって『自助防災情報』を集め、『自助防災態勢』を整えられ、『被災後の生活再建』への布石を打ち始められる契機」にしていただける方がお一人でも現れると良いな、と強く願っています。
「熊本震度7地震」の時に早朝から深夜までスマホ経由で驚くほど多くの方に「地震保険金査定体験ページ群」を閲覧していただけました。「1,200ページを超えるこのサイトの中で、このページ群の実用性が最も高い」と証明された瞬間でもありました。
以来、桁違いの被害が想定される巨大災害が発生したときに備えて「現在のHTML版サイト」からより多くの方に閲覧していただける可能性の高い「WP(ワードプレス)版サイト」への切り替えについて試行錯誤を重ねておりましたが、
「2018年6月に発災した『大阪府北部震度6弱地震』が最大想定死者数4.2万人の『上町断層帯地震』の引き金になるかも」という指摘があったところから、
このページ群のWP版サイトを先行して開設することを決意いたしました。
管理人にとって「未完成サイトの部分的な公開」は非常に心苦しいものですが、「『被災状況記録写真』の撮影後に『破損品の廃棄』を含む生活再建に取り組み始めないと、わずかの査定結果点数違いで(2017年に制度改定があったことで『熊本震度7地震』のときよりもさらに)受け取り保険金額に大きな差が生じるところから、不利益を被る方々が数多く生じかねない」という現実があってのことです。
「南海トラフ地震」や「首都直下地震」などの発災で、誰がこの先いつ被災者になるか分からない世の中でもあります。お許しください。