「本当の被災者」としての側面
もくじ
- 『蒼い炎』にある被災体験の要約
- 特に激しく揺れて損傷の大きかった地域で被災
- 七北田中の地震計は「震度6強」を記録
- アイスリンク隣りの大型スーパーは1年間閉店
- アイスリンク近くでは「不当解雇騒動」の全壊シネコンも
- アイスリンク最寄駅を含む地下鉄区間は1か月半も運休
『蒼い炎』にある被災体験の要約
最初に、自叙伝『蒼い炎』に書かれている羽生選手の被災体験の部分を要約すると次のようになります。
1.「(大震災の日から3か月半閉鎖された) アイスリンク仙台で練習中に被災して生命に危険を感じるぐらいの怖さを感じたし、
途中で倒れた電柱などを目撃しながら自宅に戻ると、(その後『 全壊認定』を受けることになる自宅内では)建物部分で大きく壊れたのは風呂場だけだったけれども壁には亀裂が走っており、家財についてもピアノの転倒を含む物品の散乱が激しかったので、
そのうち停電で街中が暗くなってきたところから、(断水状態でもあるし)避難所に指定されていた『非常用発電機を使って電球1個の灯りだけが確保されている体育館』へ行き、
父とは合流できなかったので『畳2枚分のスペース内で母と姉との3人で夜は1枚の毛布を掛けて眠る4日間の避難所生活』を余儀なくされた。」
2.「(数日間の停電が終わるなどしたことで)自宅へ戻れるようになったけれども、
(2月中旬に台北市であった四大陸フィギュアスケート選手権で高橋大輔選手の金メダルに次ぐ銀メダルを得るまで)練習拠点にしてきていたアイスリンク仙台が使えなくなってしまったし、
『(大震災の4日前に学内で壮行会があった、3月23日から始まる春の選抜高校野球大会に出場予定の)東北高校野球部の選手たちが(高校近くのいくつかの避難所で)ボランティア活動中』というニュースも聞こえてきたりしたので、
『選手活動は止めて、ボランティアの一員になろうか』などとも考えるようになっていた。」
3.「ところが、被災地の内外で多くの方が(1年4か月前のジュニアグランプリファイナルと丁度1年前の世界ジュニア選手権とで優勝し、今季からシニアに転向していた)フィギュアスケート選手としての自分の今後について心配して動いてくださったので、
その方々のご厚意をありがたく受け止める形で、最終的に神奈川のリンクを選んで被災10日後から練習を再開した。」
特に激しく揺れて損傷の大きかった地域で被災
七北田中の地震計は「震度6強」を記録
この「『蒼い炎』に書かれている被災体験」を私が知っている限りのところで補足してみると、
アイスリンク仙台から北1キロメートル弱のところにある羽生選手の母校の七北田中学校に東北工業大学が設置していた地震計は「震度6強」を記録(出典:2011年4月27日付河北新報朝刊1面「3.11本震 仙台・七郷中『震度7』 東北工大調査 加速度 阪神を上回る」)していますから、
「羽生選手が被災した地域は仙台市内でも特に激しく揺れ、家屋と社会インフラの損傷が大きかった地域と思われる」ということがまず言えます。
アイスリンク隣りの大型スーパーは1年間閉店
実際、私は共に月に一回程度、アイスリンク仙台の東1キロメートルのところにあるガソリンスタンドで給油し、
(スケート場の内部とリンク上にいる子供さんたちについては「ここで荒川静香さんが練習を繰り返していたのか」と思いながら大震災の前に一度見ただけでしたけれども)アイスリンク仙台と同じ敷地内にある西友仙台泉店(2016年9月19日に完全閉店)で買い物を繰り返していたのですが、
このガソリンスタンドは壊れた地下のオイルタンクを掘り出して新しい地下タンクを建設し終えるまで長期間閉店していましたし、
西友仙台泉店が大修繕を経て正式に再オープンしたのは大震災から1年後の3月17日でした。
アイスリンク近くでは「不当解雇騒動」の全壊シネコンも
また、このガソリンスタンドとアイスリンク仙台は同じ県道上にあり、県道は途中で(東京と青森を結ぶ)国道4号線の仙台バイパスと交差しているのですが、
交差点付近には30度ぐらい傾いたコンクリート柱が何か月もそのままにされていましたし、
ガソリンスタンド近くのシネマコンプレックスと温泉との複合施設が、修繕をあきらめて全従業員を解雇し、「不当解雇」と大きく報じられるようなこともありました。
アイスリンク最寄駅を含む地下鉄区間は1か月半も運休
さらに、仙台市地下鉄の大部分の区間は大震災の4日後に運転を再開したのですが、
アイスリンク仙台の南西1キロメートル弱のところにある八乙女(やおとめ)高架駅については「上屋を支えている柱を固定しているアンカーボルトが多数損傷(引用元:国土交通省東北運輸局HP『各鉄道の被害と復旧(仙台市地下鉄南北線・八乙女駅上屋)』174~175ページ)」するなどしたため
この駅周辺の数駅に限っての運転再開は東北新幹線の全線運転再開日と同じ(東日本大震災当日から50日目の)4月29日になり、
その間、これらの駅への無料代行バスの発車駅である台原(だいのはら)駅前にできている乗り換え客の長蛇の列を見かけるたびに私は心の痛みを感じていました。