身をもって知った自主防災の大切さ

2度の航空事故体験で学んだこと

もくじ

  • 国内でのニアミス事故体験
    • 全日空機が霞ヶ浦上空で米軍貨物機と
    • コーヒーの散乱と落ち着いた機長からのアナウンス
    • 「あのときはすごく危険な状況下にいた」と後日判明
  • 海外での機体整備ミス事故体験
    • マレーシア航空機のドアが飛行中に突然開いた
    • 懸命なドア閉め応急修理作業の一部始終を観察
  • せめてもの対策=ライト付きボールペンの持参
    • 「飛行機利用時のリスク」は昔の航海者の人々並み?
    • 常時携帯品の中に「ペン先を明かりが照らすボールペン」

国内でのニアミス事故体験

全日空機が霞ヶ浦上空で米軍貨物機と

常時携帯品の一例

1週間前(2015年3月24日)にフランス南東部で発生したドイツ旅客機の墜落事故についての報道が相次いでいる中で、2つの航空事故体験のことを思い出しました。

一つ目は、1978年(昭和53年)9月に私自身が乗り合わせていた羽田発仙台行きの全日空機が水平飛行中に、急上昇してきた横田基地発の米軍チャーター貨物機と衝突しそうになった、霞ヶ浦上空でのニアミス事故体験についてです。

事故が起きたとき、全日空機内では「シートベルト着用」のサインは消えていて、客室乗務員さんがいつものようにトレイに載せたコップ入りのコーヒーを「ご希望の方は・・・」と声を掛けながら配っていたのでしたが、
突然、飛行方向に向かって右側の翼を下にして機体が大きく傾き、(実際には高速で移動していたわけですけれども)右前方下へゆっくりと滑り落ちるような異常な飛行が30秒程度続いた後に水平飛行に戻ったので、
なんらかの危険を避ける必要が生じたことを乗客全員が理解したことは明らかです。

コーヒーの散乱と落ち着いた機長からのアナウンス

ただ、機内通路が水平でなくなったのですから、当然、客室乗務員さんは小さな声を上げて右側の通路側客席の背もたれにぶつかり、コップ内のコーヒーは周辺のお客様の着衣を汚すことになったのですが、
数分後にあった機長さんからの落ち着いた声での機内アナウンスは「他機の接近を確認し、急いで進路と高度を変更しました。申し訳ありませんでした。現在は、予定された航路を高度と速度を保って飛行中ですので、ご安心ください」という趣旨のものでしたから、
私を含めたほとんどの乗客は「乱気流に巻き込まれて怪我をするよりは良かったのかな」という印象を持って飛行機を降りたものと思っています。

「あのときはすごく危険な状況下にいた」と後日判明

ところが、このニアミス事故はNHKが翌朝7時の全国ニュースで2番目に取り上げるほどの重要ニュースで、
数日後にある全国紙は社会面のトップ記事として
「定期航路を飛行中の全日空機をめがけるかたちで横田基地発の米軍チャーター貨物機が急上昇し、結果的に音速に近いスピードで飛行する両ジェット機が共に相手機の存在に気づいて緊急回避行動を取ったので同一地点上空を同じ瞬間に90メートルの高度差ですれ違えたけれども、どちらかの機の搭乗員の判断が少しでも遅れていたら両機は空中衝突していた。ある管制官は『レーダー画面上で急接近する二つの点が重なったときには墜落事故を覚悟した』と語った」という記事を載せたぐらいですので、
後日、「機長さんは乗客に不安を与えないよう言葉を選んでアナウンスしていたけれども、あのときはすごく危険な状況下にいたんだ」ということと
「『日本の民間航空と米軍との航空管制面での連携が不十分だったため』ということなのでしょうが、飛行機を利用する際には『死亡者リスト入りの可能性がありうる』と覚悟しておかなければ」ということとを
強く認識させられました。

海外での機体整備ミス事故体験」へ

海外での機体整備ミス事故体験

マレーシア航空機のドアが飛行中に突然開いた

二つ目は、作家・遠藤周作さんの「(伊達政宗公がローマ法王のもとへ派遣した慶長遣欧使節の支倉常長をモデルとする)侍」という新刊書をペナン島(リンク先:マレーシア政府観光局HP「ペナン」)のリゾートホテルの専用プールサイドで読み終えた記憶がありますのでこの本が出版された1980年(昭和55年)6月かその直後のことであったはずと推定されますけれども、
私も乗り合わせていたクアラルンプール発ペナン行きのマレーシア航空の50人~60人乗りのプロペラ機の搭乗口のドアが水平飛行中に突然開いたという、
機体そのものに問題があったのかドアの締め方に問題があったのか分かりませんが、
マレーシア国内での機体整備ミス事故体験についてです。

懸命なドア閉め応急修理作業の一部始終を観察

事故が起きたとき、私は進行方向に向かって右側(陸側)の地上を見下ろせる席に座っていて、特産品の天然ゴムの木が緑のじゅうたんを敷き詰めたように植えられている大農園の連なりの中に、同じく特産品の錫(すず)の露天掘り鉱山が点在する光景を見ていたのですが、
「ゴー」という音がして風が吹き込んできたので「何が起きたのだろう」と左側(海側)を見ると、通路スペースを挟んで私の席の真横に位置する搭乗口のドアがパックリと完全に開いていて、客室乗務員さんと機関士さんか副操縦士さんとが「どうしよう」と打ち合わせをし始めていました。

よく見える席からでしたので作業手順を観察していると、
まず搭乗口のドアをそこにぶつかる風の圧力に逆らいながら元の位置に戻すための作業が第一で、手の届く範囲でロープをドアの一部に結び付け、機体に少し引き寄せては別のロープをドアの違う場所に結び付けてさらに引き寄せることを繰り返し、最終的にはロープを機体に縛り付けることで搭乗口のドア閉めを成功させました。
また、それだけではドアを完全には固定できなかったので機体とドアの間に毛布を挟んでからドアノブをロックしロープを外したのが作業の第2段階で、合わせて10分程度の応急修理作業の一部始終を「二度とこういう経験をすることもないだろう」と思いながら見させてもらいました。

「各国の軍用輸送機の中には開いたドアから空挺部隊の人たちを降下させて基地に戻る機もあるのだから、プロペラが回転している限りドアが開いたままでも旅客機が墜落することはないだろう」と信じていましたが、
それなりの高度を飛んでいるときのことでしたので、騒音と強風の吹き込みが突発したときにはドッキリとさせられました。

また、クアラルンプール近郊にある半導体工場を視察した際に「マレーシアの人は優秀」という説明を受けた翌日のことでしたから、
ナショナルフラッグであるマレーシア航空の国内便での「機体整備面での手抜かり」には(おそらく日航機や全日空機で同じことが起きたときに感じるレベルの)かなりのがっかり感を与えられました。

せめてもの対策=ライト付きボールペンの持参」へ

せめてもの対策=ライト付きボールペンの持参

「飛行機利用時のリスク」は昔の航海者の人々並み?

ノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂

今回のドイツ旅客機の墜落事故でフランスの検察当局が最初の捜査結果を発表したマルセイユ(リンク先:フランス観光開発機構HP「マルセイユ」)には港を見下ろす高台にノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂という有名な教会があって、
その聖堂内は(日本の神社仏閣への「船絵馬」の寄進に相当する)航海の安全を願ったり無事の帰還の御礼のために寄進された模型船や船の絵が数多く置かれ他の教会とはかなり異なる雰囲気の空間になっていましたけれども、
(ご自身が当事者になる可能性が極めて低いことは各種の統計数字が示しているとおりであったとしても)、
飛行機の運用には「航空管制」「機体整備」「天候の急変」「搭乗員の資質」「航空保安」などをめぐる潜在的な危険要因がたくさんあるので「交通機関の利用はリスクを伴うこと」という認識を昔の航海者の人々並みに持たざるを得ないのも今日の厳しい現実です。

常時携帯品の中に「ペン先を明かりが照らすボールペン」

航空事故について一乗客が自助努力で防災・減災を図ることは手に余ることですので、私は暗闇の中で何か書き残せるような機会があったときに備えて、(これまで何度か投稿記事中で触れてきた)自宅まで戻るのに徒歩で5時間以上かかるところへ行くときの常時携帯品の中に「ペン先を明かりが照らすボールペン」も入れ、せめてもの対策としています。

(投稿日:2015/03/31  更新日:2017/04/26)

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