在社中にあったこと(被災当日) | 被災状況

震災直後の市役所本庁舎前

震災直後の市役所本庁舎前[写真提供:仙台市]

「緊急地震速報」とほぼ同時に被災

東日本大震災(リンク先:気象庁「平成23年東北地方太平洋沖地震」)」は、
午後1時スタートの社内会議に参加している人たちの携帯電話が知らせる「緊急地震速報(リンク先:気象庁「緊急地震速報について 」)」とほぼ同時に始まりました。
が、「突然送られてきた、初めて聞く、振動付のシグナルが何を意味しているか」を少なくとも私は理解できず、揺れを感じ始めてから最初に取った行動は小会議室内のホワイトボードが転倒しないようにすることでした。

結果的には、「会議用デスクの下に身を隠さないと危ない」と判断する前に一連の地震が収束しましたけれども、「3回目の揺れでホワイトボードや椅子が大きく動き、4回目の揺れで書棚や卓上にあった大量の本と雑誌が信じられないレベルで床の上に散乱・堆積し、各々の会議参加者が『会議の継続どころではない』と判断して動き始めることとなった」と記憶しています。

そして、「様子を見てきます」と会議室から出て行った人たちから「ビル内の各フロアともすごいことになっています。『この先、大きな余震が起きるかもしれない。ビル崩落の可能性も無いとは言えない』ということで、ビル内にいるすべての人たちに外に出てもらいました」という報告を受けたので、
私も違うフロアにある自席の周辺の、(もし自席で電話中に被災していたら打撲とか骨折とかで「負傷者」にカウントされていても不思議ではないぐらいの)、惨状を確認した上で非常階段を使って取り敢えずビルの外に出ました。

携帯電話での連絡がとれたのは幸い」へ

携帯電話での連絡がとれたのは幸い

会社前の路上には(上の写真は「仙台市役所本庁舎前」ですのでこれほど多くの人ではありませんでしたが)近隣のビルやマンションから出てきた人たちがたくさんいましたけれども、
私より先にビルの外に出た会社の人たちは、
(その時点ではまだ通じていた)携帯電話で上司・同僚・部下の現状の把握に努め、
海岸に近い地域に行っている社員を含む数名を除いてその無事を確認し終わっていました。
小規模被災経験ページ群内の「2003年5月26日の三陸南地震」に記したように「(停電が起きていない)震度4地震」で「公衆電話と携帯電話がお話し中で役立たない」という現場に身を置いた経験を持つ私としては、このとき上司・同僚・部下(そして一部の社員は家族)との間で連絡を取り合える数十分間があって本当によかったと思い返しています。

そして、安否確認がほぼ終わると、その後の会社の人たちの関心は「どの程度の地震が起き、自分たちの今この場所で受けた被災度は全体の中でどの程度に位置するものなのだろうか」に移り、
携帯電話のワンセグ放送(リンク先:一般社団法人 放送サービス高度化推進協会「ワンセグとは」)などで災害情報を知ろうとするのですが、
大津波警報(リンク先:気象庁「津波警報・注意報、津波情報、津波予報について」)が発令されました。大急ぎで高台に逃げてください」
という緊急度の高い呼びかけが(マニュアルにのっとった当然の処置と理解していますけれども)繰り返されるばかりで、
この時点では「どこの震度がいくら」という地震情報(リンク先:気象庁「地震情報について」)に関するニュースの読み上げは皆無でした。

『業務継続不能』と判断して解散」へ

「業務継続不能」と判断して解散

一方、その間に、会社の人たちの中には「路上でお話しした会社の向かいのマンションの3階に住んでいるという方から『部屋の中が生活できない状態になった』と聞きました。自宅がどうなっているか少し心配です」と遠慮しながら言う人や「JR東日本と仙台市地下鉄が動いていないこと」を駅へ行って確認してきてくれた人が出てきたので、
「日没の時間が迫ってきている中、余震で崩れるかもしれないビルの中で停電中に片付け作業はできないし、自宅にたどり着くまで街灯が消えている中を何時間歩くことになるか分からないから、現時点で今日の業務は終了。
ただし、まだ安否確認のできていない人については、会社前を離れて帰宅できた後も、全員が必ず持っている会社貸与の携帯電話で連絡をとる努力を繰り返す。
また、連絡を取れないまま徒歩で会社に戻りつつある人がきっといるはずだから、『明日9時20分に可能な人は出社を』という小さな黒板を会社ビルの正面玄関前に置く」
といったことを決めて、(「発生した事態の今と今後」を把握できていないけれども明日以降あり得るお客様からの切実な対応要請に備えて)、地震発生から約1時間後に解散しました。

『社員の個人情報保護』を終了させて退去」へ

「社員の個人情報保護」を終了させて退去

私自身は、その後、「会社のヘルメットを借りて『出勤時に着用していたコートやオーバー』を取りに戻る一部の人たち」と一緒に会社ビル内に入りましたが、事態がこの後どのように展開していくかは予測不能でしたから、
「入社面接時の書き込みもある履歴書コピーを含めた社員の人たちの個人情報資料などが入っているデスクの引き出しのカギかけ」だけは(自分自身が大きな余震で出社不能な身体になってしまった場合に「この引き出し内のものは取扱注意品」と認識して取り扱ってもらうためにも)最低限やっておくべきことと考え、
コートを着用し30分程度かけて転倒物と散乱物を動かした上でカギかけ作業をやり終えました。結果、恐らく最後の退出者となりました。

当時、「BCP=事業継続計画(リンク先:内閣府防災情報のページ「事業継続」)の一環として文書を高速で読み込み電子データとして保存する業務用のシステム」は市販されていましたが会社レベルでは導入しておらず、自動給紙型の両面スキャナーは個人で購入できる価格帯まで販売価格が下がってきてから日が浅かったので、このようなリスクを伴う作業が必要になってしまいました。