身をもって知った自主防災の大切さ

自宅内での緊急的な後片付け

被災当日の場合

自宅での、第1ステージの復旧作業は「『食事』『睡眠空間』『情報』などを確保するための後片付け」であったわけですが、
「停電と通信の不調」ページ群内の「自宅での停電と通信の不調」のページに記したように、自宅玄関部での防災態勢が不十分であったにもかかわらず被災当日(3月11日、金曜日)夕方の時点で居室内に入ることができたので、
「(室内の状況把握から始まる)居住スペースを確保するための落下・散乱物の後片付け作業」には帰宅後すぐに取り掛かれました。

が、その作業中に室内がだんだんと暗くなってきたところから、(停電中で暖房用の電気器具が機能しないのでコートを着たまま)、大量に用意してあった、アイデスワッブという「殺菌消毒綿」を石鹸の代替え品、「紙コップ・紙ボウル・紙皿・プラ食器」を食器類の代替え品として使って、断水と停電が続いているさ中での夕食をとった後、
リビングの壁にきつく固定してあった「非常用の懐中電灯」を使って寝場所を確保するために最低限の片付けをそれなりの時間をかけてし、仮眠をとる、
というかたちで1日目の後片付け作業を終えました。

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被災から2日目の場合」へ

被災から2日目の場合

3月12日(被災から2日目、土曜日)には、こちらも「停電と通信の不調」ページ群内の「自宅での停電と通信の不調」のページに記したように、
(正午ごろに)会社から戻った後、引き続き断水と停電は続いていましたが、おおよその位置は分かっていたので堆積した散乱物の山の中から前日不首尾に終わった「乾電池式ラジオ」の探し出しに成功し、(暖房用の電気器具が機能しないのでコートを着たまま)時折ラジオのニュースを聴きながら窓から入ってくる自然光を利用して新聞を読むことで何が起きたのかを探り、
「予測されていた宮城県沖地震とは異次元の震災だったのだ。現段階で被害の全体像を行政がつかみきれてないのだ」とおおよその事態を把握することができました。

そして次に、かねて用意していたケブラー繊維を使った「防護手袋」をはめて危険過ぎる破損した食器類を丈夫なビニール袋に分別し、キッチン部分内に幅30cm程度の「安全に入れる通路」のような空間をつくりました。
「『家財地震保険の査定対策』のためには、これらの作業に先立って『証拠写真』を撮っておくことが望ましい」と後に知ることとなるのですが、
この頃は「『(重度の患者さんの治療の妨げにならないよう)自身が怪我人にならない』と同時に『(対応再開を待っているお客様がいるはずの)会社へ出社するための出撃基地としての自宅内の整備を急ぐ』」ということで動いていましたので、
証拠写真的なものは一枚も撮影することができませんでした。

さらに日没後には、各種電気製品の液晶ディスプレイ文字の表示がすべて消え小さなパイロットランプが1個も点灯していないというある種不思議な真っ暗闇の中で、「非常用の懐中電灯」をテーブル・デスク上に横置きにして、夕食をとったり散乱物の整理を続けました。

また、個人的には「停電に起因する『寒さ』と『暗さ』」でこの日の夜が被災後最もつらい時間帯になっていたものと考えていますが、
この日のうちに堆積した散乱物の中からかかりつけ医の先生に処方していただいていたのストック(=次回受診予定日まで分+少なくとも2週間分以上の備蓄薬)も探し出せたので、翌3月13日(被災から3日目、日曜日)の朝から薬の服用を再開できるようになり、幾分の安心感を得られました。

なお、厳しい通信回線規制がかけられている中でしたが、何度もトライして下さったのでしょう、この日の午後には首都圏から携帯電話が1本かかってきました。

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被災から3日目の場合

3月13日(被災から3日目、日曜日)には、こちらについても「停電と通信の不調」ページ群内の「自宅での停電と通信の不調」のページに記したように、
会社から戻った後、(「何本かの携帯電話がかかってきた」という大きな変化はありましたが)、前日までと同じ環境下で食事をとったり「防護手袋」をはめて散乱物の整理を続けていたところ、
日没後に電気と水の供給が再開されたので、石鹸で手を洗えるようになり、埃まみれになった食器も洗え、それらを使って(暖房用の電気器具が機能するようになったのでコートは脱いで)食事ができるようになりました。

なお、食事をとった後は、停電が終わったことでたくさん届くようになった固定電話について、「(『すごく心配されてのこと』とありがたく思うけれども)、容易に対応できる状況下でなければ『ナンバー・ディスプレイ(発信者電話番号表示サービス)の記録がメモリー内に残るFAX兼用電話機』の利点を生かして明日『おわびとお礼の電話』をかけよう」とルールを決め、翌朝の出勤に備えての室内整理に取り組みました。

とはいえ、扉の内外に落下した散乱物に邪魔されてすべてのクロゼットの扉をまったく開けることができず、
被災当日から着たきり雀状態だった衣類(=背広上下など)については3月14日(被災から4日目、月曜日)朝の会社に来客がないことを期待しての出勤準備となりました。

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被災から11日目に終了

よく「足の踏み場もない状態」という表現が使われますが、
20~30cmの厚さになっている埃まみれの散乱物を、その中にある割れたCDケースとか折れているかもしれない水銀体温計などで怪我をしないようにしながら、平日の夜に分別・整理し、食器については洗って使える状態に戻していくのは、(平日の昼間は会社での業務をこなした上でのことですので)、かなり大変な作業でした。

結局、機器を探し出してかかりつけ医の先生の指導で数年来行なってきていた「毎日の体重測定」を再開できたのは3月19日(被災から9日目、土曜日)で「毎日2回の血圧測定」を再開できたのは3月21日(被災から11日目、月曜日)、
(自宅にあった「会社貸与の携帯電話の充電器」については会社のデスク上に代替え品を用意してもらって自席周辺での片付け作業中に充電するかたちでしのいでいましたので)3月14日(被災から4日目、月曜日)の朝には「会社貸与の(社外からの電話を内線番号で転送できる)携帯電話でどこにいても連絡を取れる態勢」を再構築済みであったわけですけれども、充電器を探し出して「個人の携帯電話の充電と使用」が可能になったのは3月19日(被災から9日目、土曜日)でしたから、
これらのことができるようになって「第1ステージの『食事』『睡眠の空間』『情報』などを確保するための後片付けが終了」と定義すると、第1ステージの終了日は3月21日(被災から11日目、月曜日)ということになります。

 

 

 

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