身をもって知った自主防災の大切さ

会社内での後片付け

もくじ

「緊急的な後片付け」に1週間

被災から2・3日目の場合

会社内に散乱した物品のうち「徒歩や自転車やマイカーで出社してくれた人たちの自席周辺にあるもの」については、
3月12日(被災から2日目、土曜日)から、停電でビル内が薄暗い中、大きな余震の発生に備えてヘルメットを装着した上で、片付け作業が始まりました。

(小・中学校などに開設された避難所から出社し帰社後は避難所へ戻った人たちを含めて)出社してくれた社員の人たちは、
「東日本大震災でどの程度の被害が生じたか」を各市町村と宮城県庁も把握できていない段階でのことですから「お客様から要請があったらできるだけのことをやろう」という問題意識に基づいて半ばボランティア的に休日出社してくれたのですけれども、
停電によって「(電話・FAX・メールによる)お客様からの要請」が届く状況でなかったために、3月12日は「自席周辺にあるものの片付け作業」、3月13日(被災から3日目、日曜日)はそれに加えて「(ガソリンを集約することでの)長距離走行が可能な車両の用意」と「(サーバーの再立ち上げを中心とした)コミュニケーション手段の再確立」などの作業にあたりました。

被災から4日目の場合

また、社員の人たちのほとんどが出社してきた3月14日(被災から4日目、月曜日)には、
前日の夕方までに停電が終わってエアコンによる暖房が再開されていましたし、やはり数人単位で一緒になって行なう復旧作業は効率が良いということもあって、
転倒した数多くのロッカー・本箱・パーテーション(間仕切り)を元の位置に仮戻しするというかなり大変な作業のほとんどがこの日1日で終わりました。

個人レベルでは物心両面で被災によるダメージを受けていたはずの社員の人たちのほとんどが普段より厳しい出勤環境を乗り越えて出社してくれたことで、「第2ステージの復旧作業にあたる『日常業務を再開できる職場空間を取り戻すための後片付け』の土台部分の形成」に被災翌日からわずか3日間で到達できたということになります。

被災から5・6・7日目の場合

そして、それらのことがあったので、3月15日(被災から5日目、火曜日)には会社のホームページに「『お客様へのお見舞い』と『社員全員が無事であることのお知らせ』と『ガソリン不足などによる制約はあるけれどもベストを尽くしたいという決意の表明』」からなるステートメントを掲載し、
3月14日から16日までの3日間はお客様からの連絡を受けて行動する受け身の活動期間でしたが、
3月17日(被災から7日目、木曜日)には 、お客様への被災状況の問い合わせを本格的に開始するなど、対外的な企業活動も再開させることができました。

市民センター内図書館の被災状況 図書館の被災状況の説明文 なお、詳細が分かる私の場合に限って記せば、右の写真の図書館より一回り規模の小さな(といっても一個人にとってはかなり厳しいレベルの)被災でしたので、
(断水は続いていましたから、電話がかかってくる度に介護のときなどによく使われる「使い切りタイプのビニール手袋」を外して使い捨てて)、
個人管理の書類や書籍などを自宅から持ってきた30~40個の段ボール箱に仮収容して自席周辺の床の上に並べ終わるまで
3月15日・16日・17日と3日間を要しました。

 

『日常回復への後片付け』は52日目に一段落」へ

「日常回復への後片付け」は52日目に一段落

同じく、私個人の場合ですが、
「一段落したら、それらの(書類や書籍などを仮収容した)段ボール箱を本箱内の各段と本箱の上に置いて、とりあえずの作業環境の整備完了としよう」と考えていたところ、
4月7日の『震度6弱』の余震(リンク先:仙台市「4月7日(23時32分)の余震について 」)」が起きて、
本箱内などに段ボール箱を置けなくなってしまいました。

やむを得ませんので、極端な品薄状態の中でやっと4月23日(被災から44日目、土曜日)に入手できた「家具転倒防止板(転倒防止プレート)」を本箱の下に入れて本箱などを倒れにくくする作業をやった後、
5月2日(被災から52日目、月曜日)に「数十個の段ボール箱を本箱内と本箱上へ仮収納する作業」を終えることができました。

『散乱防止対策は取っておくべきだった』と反省」へ

「散乱防止対策は取っておくべきだった」と反省

いま振り返ると「どうしてだったのだろう?」と思えるのですが、
東日本大震災前に「(青森市内には1社あったのですけれども)仙台市内でロッカーや本箱の固定化対策をとっている企業・組織のオフィスを訪れた経験」は企業・組織の大小を問わず皆無でしたので、
横並び意識でそれらの固定化に着手していなかったために被災度が高まったものと考えています。

また、「この後、段ボール箱に仮収容した『散乱した書類と書籍』はほとんど参照できなくなった」というもう一つの被害のことを併せ考えると、
「周囲の動きや行政当局などからの働きかけが弱かったという『世の中の空気のようなもの』があったにしても、『ロッカーや本箱の固定化』や『書類・書籍の電子ファイル化』といった個別の事情に応じた防災対策は独自の判断で取っておくべきだった」
と反省させられています。

 

 

 

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